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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase8)ムソルグスキー「展覧会の絵」、創作欲を刺激する余白、ELP版はプログレの大門
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2023.9.21
tagged: 展覧会の絵, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ムソルグスキー, ELP, 冨田勲
ロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキー(1839~81年)のピアノ組曲「展覧会の絵」は様々に編曲されている。ラヴェルの管弦楽版は定番。エマーソン・レイク&パーマー(ELP)のプログレッシブ・ロック版、冨田勲のシンセサイザー版も精彩を放つ。後世の音楽家の創作欲を刺激する理由は、原曲が強烈なフォルムのデッサンながら余白を持つからだ。独創性と謎に満ちた原画は、独自に彩色したくなる魅力を放つ。度量の大きさは名曲の証し。終曲「キーウの大門」がプログレの大門になる。
「展覧会の絵」の冒頭「プロムナード」は、変ロ長調のペンタトニック・スケール(五音音階)による2小節の動機で始まる。日本の演歌やJ-POPにも使われるヨナ抜き音階であり、素朴な異国情緒を醸し出す。ムソルグスキーが展覧会場を歩く様子を思わせる行進曲風の親しみやすい旋律だが、一筋縄ではいかない。動機の2小節は4分の5拍子と4分の6拍子の組み合わせで、割り切れない計11拍子。建築家で画家のハルトマンの遺作展を見たのが作曲のきっかけだが、酒酔いでなくても、親友を追悼する会場では2拍子でうまく歩けない。
「プロムナード」は五音音階から教会旋法のリディア風を経て、変ロ長調の主音で終わる。五音音階、リディア旋法、長音階、変拍子が巧妙に組み合わさっているのだ。当時の西欧のロマン派からすれば異形の響きであり、欧亜折衷、ロシアの聖俗を併せ持つハルトマンの絵を予感させる。「プロムナード」は速度や調性を変えて計5回、変奏を含めれば計6回登場する。
曲順は「プロムナード」→1「小人」→「プロムナード」→2「古城」→「プロムナード」→3「チュイルリー」→4「ビドロ(牛)」→「プロムナード(ニ短調)」→5「殻を付けた雛鳥のバレエ」→6「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」→「プロムナード」(ラヴェルの管弦楽版などでは省略)→7「リモージュ」→8「カタコンブ」(後半「死せる言葉による死者への呼びかけ」は「プロムナード」のロ短調変奏)→9「鶏の足の上の小屋(魔女バーバ・ヤガー)」→10「キーウの大門」(冒頭の「プロムナード」の下属調である変ホ長調。力強い主題が壮麗な大伽藍を築いて全曲を閉じる)。
ムソルグスキーは貴族の子弟の既定路線として士官学校を卒業し軍人になった。近衛連隊の士官を務める中、作曲を趣味とする同じ軍人のキュイやリムスキー=コルサコフ、医師のボロディンらと出会い、音楽に専念するため1858年に軍務を退く。しかし61年の農奴解放令で実家が没落したため、下級官吏として生計を立てながら作曲に取り組んだ。バラキレフに師事したが、基本は独学。62年までに作曲家集団「ロシア五人組」を形成した上記5人のうち、バラキレフを除く4人はアマチュアだったわけだ(リムスキー=コルサコフはのちにペテルブルク音楽院教授に就任した)。
アマチュアリズムだからこそムソルグスキーは既成概念に囚われない独自の発想で先進的な作品を書けた。最高傑作の歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」は、ロシア語会話の抑揚から導いた朗唱形式や正教会の対位法を導入。同時代の西欧ロマン派とは異質なロシア国民楽派の音楽を創造した。飲酒がたたって42歳で早逝。レーピンによる彼の晩年の肖像画はアルコール依存症の赤ら顔だ。
奇人変人扱いをされたムソルグスキーだが、後世への影響は大きい。フランスのドビュッシーやラヴェルはムソルグスキーの音楽に強い関心を示した。ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」は全編にわたり朗唱風の歌唱が展開し、ムソルグスキーの影響を反映している。ドビュッシーは全音音階や第7、9、11、13音を含む和音の斬新な使用などを通じ、印象主義とも象徴主義とも呼ばれる新フランス音楽を確立した。器楽でのその源泉といえるのがムソルグスキーの「展覧会の絵」だ。
例えば、子供の口喧嘩を象徴する「チュイルリー」、雛鳥の動きを捉える「殻を付けた雛鳥のバレエ」。長・短調が曖昧な響きや音型の反復、小刻みのリズムなどで運動自体を客体化し、聴き手を夢幻の世界へと誘う音楽であり、ドビュッシーの「映像」や「前奏曲集」に通じる。ラヴェルは「展覧会の絵」を極彩色のオーケストラ作品に仕立てた。情景描写的な「ビドロ」や壮大な「キーウの大門」などで管弦楽が色彩効果を上げる。
中でも怪物ぶりを示すのが「鶏の足の上の小屋(魔女バーバ・ヤガー)」。ハルトマンの絵は鶏の蹄で支えられたバーバ・ヤガーの家。長7度(嬰ヘとト)の音程で始まる半音階的な動機は、2拍子のリズムを凶暴に刻む。続く主題はハ長調とハ短調の明暗併せ持つ異様な和声長音階(Molldur、モルドゥア)の響きだ。得体の知れない不気味な迫力はプログレと相性が良かった。英国のロックバンドELPは1971年のライブアルバム「展覧会の絵」にバーバ・ヤガーにちなむ楽曲を3曲も入れている。
ELPのアルバムはラヴェルの管弦楽版に触発されたと思われるが、選曲し、オリジナル曲も入れている。その一つ、「ビドロ」を想起させるコード進行の「賢人」ではグレッグ・レイクがギター弾き語りで歌う。約4分半の「ブルース・ヴァリエーション」ではキース・エマーソンのキーボード即興演奏を中心に3人の超絶技巧が炸裂する。「キーウの大門」ではレイクが「我が生に終わりはなく、我が死に始まりはない。死は生だ」との実存哲学を歌う。まさにプログレの大門だ。
ELPのエマーソンがアナログのモーグ・シンセサイザーを生演奏した意義は大きい。現代音楽の作曲家たちがミュージック・コンクレート(録音・編集)に使う程度だったシンセサイザーをライブステージに乗せたのだ。ハワード・ジョーンズや小室哲哉をはじめ、シンセサイザー奏者の先駆としてエマーソンを敬愛するアーティストは多い。一方、冨田勲の「展覧会の絵」(1975年)は、ラヴェルの管弦楽版の楽曲構成によりながらも、シンセサイザーならではの無限音階や軽みのある音色を鳴らし、テクノポップを予感させる。
ELPのレコードジャケットが示すように、額入りの絵の数々は白地のまま新たな創作を待っている。ロックのライブでは、原曲通りでない創造的再現が期待される。「展覧会の絵」はその期待に合致し、スタンダードとなった。名曲の生に終わりはない。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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