Web音遊人(みゅーじん)

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#024 ジャズを“復古”させた圧倒的な才能の歌声~サラ・ヴォーン『枯葉』編

他を圧倒してしまうほどの才能というものは、他との距離を生んでしまうが故に、その才能の活かし方について悩まなければならなくなるのかもしれません。

本作を久しぶりに聴き始めて、ボクは最初の5秒で、いや、3秒で「巧いなぁ……」とため息をついて聴き入ってしまったのですが──。

多くのジャズシンガーをめざす人の“手本”として五指に入らないことが考えられないほどの存在であるサラ・ヴォーンですが、だからといってなにを歌っても喝采を浴びたわけではなかったところに、ジャズの難しさ、もっと大げさに表現すれば“音楽”を生業とすることの困難さがあるのかもしれないという思いが浮かんできてしまいました。

それはつまり、それほどの才能があるとされたサラ・ヴォーンの作品なのに、なぜすべてが“名盤”とはされなかったのか、そしてなぜ本作が“名盤”とされているのか──を解くためのヒントが隠されていたような気がしたのです。


I Didn’t Know What Time It Was

アルバム概要

1982年3月にレコーディング、同年にリリースされたサラ・ヴォーンのアルバムです。

オリジナルはLP盤で、A面に4曲、B面に4曲、計8曲を収録。 

メンバーは、ヴォーカルがサラ・ヴォーン、ピアノがローランド・ハナ、ギターがジョー・パス、ベースがアンディ・シンプキンス、ドラムスがハロルド・ジョーンズ。

いわゆるシンプルな編成でジャズのスタンダード・ナンバーをカヴァーした“オーソドックスな内容”と言ってしまえる作品です。

“名盤”の理由

そんな“オーソドックスな内容”のカヴァー・アルバムがなぜ“名盤”と呼ばれるようになったのか──。

その背景には、本作が制作された1982年という年が大きく関係しているとボクは考えています。

1970年代になると、それまで“モダンジャズ”と呼ばれ隆盛を誇っていた(ように見えた)ジャズも勢いを失い、ポピュラー音楽のヒット・チャートにはロックの影響を受けたAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)やブラコン(ブラック・コンテンポラリー・ミュージック)の曲が並ぶようになります。

流行らなくなってしまった“流行りもの”の末路は“ただ消え去るのみ”のはずなのですが、そこで抗ったのがジャズでした。

転機は1976年。

この年、アメリカ合衆国は建国200年記念事業に沸いていました。

先住民ではなく、欧州からの移民による統治を起点としたアメリカは、その歴史の浅さを埋めるべく、独自の文化と呼べるものを探した結果、19世紀後半にアメリカを発祥の地として世界へ広まった“ジャズ”に目をつけました。

同年開催のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでは特別企画が組まれ、その影響は2年後のカーター米大統領主催のホワイトハウス・ジャズ・フェスティヴァル開催へと波及。

つまり、ジャズが大統領も認めるアメリカの文化のひとつであることを内外に知らしめることになったというわけです。

ただ、落ち込んだマーケットがなんとか回復する兆しを見せるのは1980年代半ば。休眠状態だった名門レーベル“ブルーノート”の活動再開あたりからですが、1980年代初頭のジャズ・シーンは、ヒット・チャートを席巻するムーヴメントに追随するか、往時のジャズ・スタイルに固執するかの選択を迫られるような空気感が濃かったことも事実だと思います。

そして本作が、先陣を切るように往時のジャズ・スタイルへの復古を明らかにしたことで、シーンの形勢も大きく変わったのではないか、と考えてみたわけです。

いま聴くべきポイント

サラ・ヴォーンのジャズ・シンガーとしてのキャリアは、1942年にニューヨーク・マンハッタンのハーレム地区にあるアポロ・シアターで行なわれたオーディション企画“アマチュア・ナイト”への出場から始まったとされています。

瞬く間にトップ・シンガーの座についた彼女でしたが、トップであるが故に“ジャズの未来”も背負わされてしまったのかもしれません。

1970年代のサラ・ヴォーンの作品を振り返ると、ポピュラー・ミュージック路線を意識したものが多く見られ、この頃の代表作とされる『センド・イン・ザ・クラウンズ』(1974年)などは高評価を得ていますが、いま聴くと当時の王道ポップス的な編成&アレンジで、時代に合わせたいレコード会社のリクエストにも軽々と応じられる彼女の才能を感じてしまい、ボクはちょっといたたまれなくなってしまうのです。

実は彼女、このアルバムの成功で代表曲となった『センド・イン・ザ・クラウンズ』を再び収録したアルバム『センド・イン・ザ・クラウンズ』を1981年、つまり本作の前作として制作していて、その内容はカウント・ベイシー・オーケストラをバックに歌うという、自らのキャリアの原点に戻った“復古を表明”するような企画に挑んでいました。

そして、続く本作でジャズオーケストラより“ジャズらしい”サウンドのギター・クァルテットをバックにジャズ・スタンダードを歌っているという“流れ”になるのです。

そこには彼女の確固たる“ジャズを歌う”という決意が感じられ、それがあるからこそ、後続の歌姫たちが彼女をトリビュートし、本作を“手本”とするジャズ・ヴォーカルのスタイルが“現役”として受け継がれているのだと思います。

「ジャズの“名盤”ってナンだ?」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

特集

今月の音遊人「世良公則」さん

今月の音遊人

今月の音遊人:世良公則さん「僕にとって音楽は、ロックに魅了された中学生時代から“引き続けている1本の線”なんです」

13345views

音楽ライターの眼

英国ハード・ロック・バンド、バッジーの受け継がれる伝統

3745views

楽器探訪 Anothertake

改めて考える エレクトーンってどんな楽器?

137866views

楽器のあれこれQ&A

ピアノ講師がアドバイス!練習の悩みを解決して、上達しよう

5093views

脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

11252views

コレペティトゥーアのお仕事

オトノ仕事人

歌手・演奏者と共に観客を魅了する音楽を作り上げたい/コレペティトゥーアの仕事(後編)

8021views

メニコン シアターAoi

ホール自慢を聞きましょう

五感で“みる”ことの素晴らしさを多くの方と共感したい/メニコン シアターAoi

3644views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

15188views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20781views

われら音遊人 リコーダー・アンサンブル

われら音遊人

われら音遊人:お茶を楽しむ主婦仲間が 音楽を愛するリコーダー仲間に

8542views

山口正介 Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

マウスピースの抵抗?音切れ?まだまだ知りたいことが出てくる、そこが面白い

6218views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26826views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:和洋折衷のユニット竜馬四重奏がアルトヴェノーヴァのレッスンを初体験!

5659views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

13668views

いい音楽に巡り会えたら、自然に言葉があふれ出す―珠玉のエッセイ集『音のかなたへ』

音楽ライターの眼

いい音楽に巡り会えたら、自然に言葉があふれ出す―珠玉のエッセイ集『音のかなたへ』

6821views

オトノ仕事人

子ども向けコンサートを企画し、音楽が好きな子どもを増やす/コンサートプロデューサーの仕事

9143views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:バンドサークルのような活動スタイルだから、初心者も経験者も、皆がライブハウスのステージに立てる!

8448views

楽器探訪 Anothertake

26年ぶりにラインアップを一新!「長く持っても疲れにくい」を実現し、フラッグシップモデルが加わったバリトンサクソフォン

4043views

弦楽四重奏を聴くことが人生の糧となるように/第一生命ホール

ホール自慢を聞きましょう

弦楽四重奏を聴くことが人生の糧となるように/第一生命ホール

10024views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

音楽知識ゼロ&50代半ばからスタートしたサクソフォンのレッスン

8411views

楽器のあれこれQ&A リコーダー

楽器のあれこれQ&A

リコーダーを長く楽しむためのお手入れ方法

11921views

こどもと楽しむMusicナビ

1DAYフェスであなたもオルガン博士に/サントリーホールでオルガンZANMAI!

3575views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10854views