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今月の音遊人:石丸幹二さん「ジェシー・ノーマンのような表現者になりたい!という思いで歌の世界へ」
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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#51 甘口のヴォーカル・バラードに潜む“コルトレーン論”への入口を探る楽しみ~ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』編
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2024.12.20
tagged: ジョン・コルトレーン, 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?
饒舌で陰キャを極めようとする部分に萌えていた“ジョン・コルトレーン信奉者”にとって、「それでもアナタはコルトレーンを信じますか?」と問うような、ある意味で“禁断の”と言うか、“踏み絵”にも似た存在だったのが、本作でした。
それはたとえば、彼がこだわっていた“旋律という輪郭線”の描き方や、そこに加重される音圧に関して、大部分をシンガーに委ねてしまうという“異常事態”が発生していることを意味し、ミュージック・アイデンティティを否定しているんじゃないか(というように“ジョン・コルトレーン信奉者”には感じられた)という印象でもあったわけなのです。
ジョン・コルトレーンがバラードに対してオリジナル曲とはまったく異なるベクトルの興味をもっていたことは、『バラード』(#029)を手がけていることからもわかるはずなのですが、その続編ともいうべき本作に至って、彼がインストゥルメンタルだけでは表現できないと思ったバラードの世界とはなんだったのかを、改めて考察してみたいと思います。
1963年にスタジオで収録され、同年にリリースされました。
オリジナルはLP盤で、A面3曲とB面3曲の合計6曲。CD化でも同曲数同曲順で、カセットテープのバージョンや、モノラル録音とステレオ録音の2パターン合計12曲を収録したSACD版もあります。
メンバーは、テナー・サクソフォンがジョン・コルトレーン、ヴォーカルがジョニー・ハートマン、ピアノがマッコイ・タイナー、ベースがジミー・ギャリソン、ドラムスがエルヴィン・ジョーンズです。
収録曲は、ゆったりとしたテンポの、バラードと呼ばれるスタンダード・ナンバーばかりが選ばれています。
ジョニー・ハートマンは、1923年生まれでジョン・コルトレーンより3歳年上。8歳で歌とピアノを始め、シカゴ音楽大学へは奨学金を得て入学、第二次世界大戦中は歌手として陸軍に所属していたという経歴の持ち主です。
1946年にアポロ劇場のコンテストで優勝したことをきっかけに、ピアニストのアール・ハインズ率いるバンドとの契約をゲットし、一躍注目を浴びるようになりました。
アール・ハインズのバンドが1948年に解散すると、ディジー・ガレスピーのバンドに招かれ、そこへ後輩として入団してきたジョン・コルトレーンと出逢うことになります。
このように2人は旧知の間柄であったものの、ジョニー・ハートマンは生来の甘いバリトン・ヴォイスを活かしてポピュラー路線を突っ走るシンガー、一方のジョン・コルトレーンはハード・バップからモード・ジャズ、そしてシーツ・オブ・サウンドへと歩みを進め、改革派としてジャズを先鋭化させてきたという存在。
つまり、誰がどう見ても両者は“水と油”のような立ち位置なのではないか──というのが当時の一般的な認識だったはずなのです。
ところが、その“水と油”がコラボして、「あの(1960年に『ジャイアント・ステップス』をリリースして話題となった)ジョン・コルトレーンがヴォーカリストを迎えてバラードばかりの作品を制作した」となったわけですから、ポピュラー音楽ファンのみならず、ジャズ・シーンの“うるさがた”も注目せざるを得なかったのではないか──。
1963年ごろのジョン・コルトレーンのレギュラー・クァルテット(本作参加の4名です)は、残されたライヴ音源などからもわかるように1曲が30分から1時間にもなる、濃密で一体感と緊張感の続く演奏を繰り広げるような状態でした。
ただジョン・コルトレーンとしては、そんなふうに“我が道”を邁進して自己満足するだけではなく、より多くの人に自分の音楽を届ける“使命”も重要である、と考えていたようなのです。
それがたとえば、#029でも指摘したように、難しいととらえられがちになっていたジャズを聴きやすくするための企画もの的な作品制作であり、その“最右翼”として登場したのが本作だった、と言えるでしょう。
そしてそんな本作が、多くのポピュラー音楽作品のようにただ消費されて終わらずに“名盤”となりえたのは、ポピュラー音楽のセオリーから外れた革新的なアイデアが盛り込まれていたからです。
ピアノの短いイントロから歌い始める1曲目『ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル』も、途中からジョン・コルトレーンのソロになるとリズムが変わったり、2曲目『デディケイテッド・トゥ・ユー』はテンポ・ルバートでピアノをバックにしたヴォーカル・パートの1コーラスが終わるとすぐにサックスのソロへ突入したり。3曲目『マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ』に至っては冒頭からサックスがメロディを取ってフル・コーラスを演奏し、「あれ?この曲はインストだったの?」と感じるころにようやくヴォーカルが登場する、などなど。
こうして味わいなおしてみると、ジョン・コルトレーンは決してポピュラー音楽に取り込まれたわけでなく、利用すらしようとしていないことがわかるはず。
それをまた、ジョニー・ハートマンがしっかりと理解して付き合っているからこそ、彼の代表作とも言われているのです。
本作の成功を受けて、ジョニー・ハートマンを起用した続編の制作という話もあったようなのですが、ジョン・コルトレーンは1964年を最後に、レギュラー・クァルテットを解散し、逝去するまでの3年間、フリー・ジャズへと振り切った活動に注力していきます。
しかし、ジョン・コルトレーンは本作で見せた“ゆったりとしたテンポ”で“優しいメロディ”を有したバラードの世界とは真逆な方向へ進んだわけではなく、そもそも彼がジョニー・ハートマンを自身のクァルテットに加えたこと自体が既成のジャズからの解放(=フリー)なのであり、それは表裏一体なのだと考えることが、“コルトレイノロジー(coltranology、~ologyは接尾語で“~論”を意味します)”と揶揄される“難解さ”を解き明かすためのヒントにもつながるのではないか──と思うのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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