今月の音遊人
今月の音遊人:挾間美帆さん「私は音で遊ぶ人のために作品を作っているのかもしれません」
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ジャズとクラシックをどのように“しっかり分けて”いたのか、“ジャズ・ピアノ6連弾”をもう少し掘り下げてみたい。
このコンサートは前回も記したように、ミューザ川崎シンフォニーホールのアドバイザーに就任していた佐山雅弘によって発案された。
3台以上のピアノを並べてピアニストたちを共演させるという企画は、特に目新しいものではなかった。ジャズ・シーンでは、ジョン・ルイスとハンク・ジョーンズにマリアン・マクパートランドを加えた“ピアノ・プレイハウス”というコンサート・シリーズが1976年に日本でスタートし、これが1990年に100 Gold Fingers(ワンハンドレッド・ゴールド・フィンガーズ)という壮大な企画へと発展している。その名のとおり、ジャズ・ピアノのジャイアントを10人揃えたものだ。
当初、ジャズ・ピアノ6連弾は100 Gold Fingersの日本版ではないかという認識が主流だったように思う。
しかし、数々の革新的なプロジェクトを立ち上げ、ジャズ・シーンに衝撃を与え続けていた佐山雅弘が、“日本版”などという“タダの焼き直し”を手がけるとは思えない。
ボクはその点に関して、本人から「アソコでやれることをやろうと思った」というニュアンスのコメントをもらったことがある。残念ながら、ボク自身の理解が及んでいなかったために、それ以上のコメントを引き出すことができなかった。
いま考えれば、アソコというのはクラシック音楽を上演するために音響が整えられたミューザ川崎シンフォニーホールであり、すなわちクラシックを意識したアプローチの内容を考えたと裏読みできるのだ。“ジャズ・ピアノ”というワードを使うことでそれを隠そうとしたところが、いかにも佐山雅弘らしいのではないだろうか。
では、クラシックを意識したアプローチとはなにかといえば、これがまた彼らしくややこしいものなのだが、クラシックがやっていなかったことをジャズ・プレイヤーならではの方法によって具現してみることで、“ジャズとクラシックの距離を炙り出す”というものだったと思うのだ。
ボクが実際にこのコンサートを観て感じたのは、ピアニストによってピアノの鳴らし方がぜんぜん違うということ。ホールの空間のどこに音を置こうとしてピアノを弾くのかが、6人のミュージシャンそれぞれの考え方をそのまま反映して異なっていたというわけ。
小原孝と山下洋輔を両極端に配置して、器用な佐山雅弘が弾き分けながら両者のピアノの“色の違い”を際立たせようとしていたことに、いまなら気づくことができるかな。そこへ国府弘子がまた別のロック的なベクトルを持ち込み、島健はラテン的なベクトルを持ち込む──という感じだろうか。
印象的だったのが、塩谷哲アレンジによるラヴェルの「ボレロ」。現代音楽で楽器の位置を作品の表現に重ねる方法論は珍しくないが、この曲では譜面に書かれた音譜が花火のようにホールのあちこちへと飛び散っているように思えて、「これはクラシック・ホールでなければできない」と唸ってしまったことを記憶している。
なにに唸ったのか、それがジャズとクラシックを“しっかり分けて”にどう関係するのかは、次回。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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