今月の音遊人
今月の音遊人:小沼ようすけさん「本気で挑まなければ音楽の快感と至福は得られない」
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ジャズがどのように生まれたのかを音楽理論的に遡ることができるのであれば、その根源へとたどっていくのは意味があるかもしれない。
しかし、事象としてのジャズの起源を特定するには、それはあまりにも曖昧で、ノイズが多すぎるから、個人的にはそれほど興味を焚き付けるものではなかった。
20世紀初頭に活躍したピアニスト/バンドリーダー/作曲家のジェリー・ロール・モートン(1890年ニューオーリンズ生まれのピアニスト、バンドリーダー、作曲家)は、自らの名刺に“ジャズとスウィングの創始者”と記していたというが、もちろん彼がピンポイントにジャズとスウィングという音楽ジャンルを創始したワケではない。彼が生まれたころにはすでにニューオーリンズでジャズやスウィングと呼ばれることになるスタイルの音楽が演奏されていた(はず)。
JAZZの語源をエヴィデンスから言及すれば、1913年にシカゴの新聞が、トロンボーン奏者トム・ブラウンのニューオーリンズ・ツアーのエピソードとして「JASSというナウい音楽が演奏されていた」と紹介したことが嚆矢(※1)とされる。
(※1)ものごとの始まりの意。昔、戦いを始める合図として、先端に大きな音の出る矢を放ったことにちなむ。
この背景には、JASSという言葉がフランス語の“jaser”(どうやら“ビンビンだぜ”的なニュアンスの隠語のようです)から転じたものであること、ニューオーリンズはフランス領だからフランス語由来であること、フランスっぽい(=ヨーロッパ大陸の香りがする)音楽であることを“売り”にしようと目論んでいたのではないかということ、そして1910年代にはジャズの消費地がニューオーリンズから(19世紀半ばにはすでに西部最大の都市になっていた)シカゴへ移っていて(フランスのような先進国の)文化に対する注目度が高まっていたこと──などを読み取ることができるだろう。
つまりジャズは、“消費されるべき商品”としてニューオーリンズから原材料を仕入れ、紳士淑女に抵抗がありそうなJASSからJAZZへとソフトなイメチェンのための改名を果たして、戦略的にアメリカの大衆音楽を担うための準備を整えていったことがうかがえるのだ。
ボクはジェリー・ロール・モートンを排除しないし、彼が結成したレッド・ホット・ペッパーズが1926年からビクターというメジャーなレコード会社に音源を残した功績はもちろん、1938年から行なわれた米国議会図書館用のインタヴューを“ジャズの起源を想像するための手がかり”として大きく評価する。
そのうえで、改めて“ジャズがどのように芽生えて育っていったのか”を考察することは、“文化”とはなにかを考えるうえでかなり重要なことではないかと思うようになった。
それは、ジャズが悪所(※2)と呼ばれるような狭いエリアで生まれた”ことにフォーカスするのではなく、“なぜ世界に広がっていく音楽ジャンルになったのか”を理解するためのきっかけになると思うから──。
(※2)主に風俗営業に該当する店が集まっているエリア。
アメリカでジャズが発展する要因となった社会情勢との関係性を簡単に振り返ったあとで、日本のみならずアジア全域におけるジャズと社会情勢との関係性を掘り下げていきたいと思っている。
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富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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