Web音遊人(みゅーじん)

ウィーン・フィルとヤマハによる「ウィンナモデル」開発秘話/こうして管楽器はつくられる【開発編】~ウィーン・フィルを支えた管楽器開発の舞台裏~

「ヤマハの管楽器開発に多くの物語があり、そこにドラマがある。それをまとめて読めるようにしたい」。こうして誕生した本書は、管楽器専門誌『パイパーズ』に掲載されたインタビュー記事などをもとに編集されたもの。2019年に発売された『こうして管楽器はつくられる~設計者が語る「楽器学のすすめ」』、その【開発編】として第2弾は「ウィンナモデル」の開発秘話を綴った。それは同時に、伝統の音色に重きをおくウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の管楽器奏者を楽器供給という面で救った、という歴史的な物語でもある。

そもそも「ウィンナモデル」とは、「ウィーン地域だけで使われている管楽器」というような意味合い。「ウィンナモデル」という楽器の仕様があるわけではない。その「ウィンナモデル」管楽器が出す音の特長は、ウィーン・フィル奏者の言葉を借りると「フォルティッシモでも弦楽器の音をつぶさない、やわらかく、あたたかい音色」ということになる。そしてその音を得るために、彼らは音程調整の難しさや操作上の不便さを厭わず昔ながらの「ウィンナモデル」を使い続けてきた。しかし現地では、需要が限られる「ウィンナモデル」は商売にならないと製作から撤退する工房が続出。やがて自分たちが使う楽器が入手できなくなる、という音楽家たちの危機感は増すばかり。そこで白羽の矢が立ったのがヤマハだった。

時は1973年。ウィーン・フィル4度目の来日の折、トランペット奏者のワルター・ジンガーが、楽屋を訪れたヤマハの技術者に「自分の楽器を預けていくので、なんとか同じモデルを作ってほしい」と懇願する。ヤマハでは、「古い楽器の再現とはいえ、事実上は新モデルの開発と変わらない大仕事。莫大な費用と労力を要するうえ、成功してもウィーン以外では需要のない特殊モデル」と考えたが、楽器メーカーとしての強い使命感から、ジンガーの申し出を受け入れる。ジンガー32歳、中心となったヤマハの技術者たちも20代半ばという若いエネルギーが、無謀とも言えるプロジェクトをスタートさせた。

2年後、5度目のウィーン・フィル来日を機に、ジンガーは試作品を演奏。「良いものができた」と感心するが、やはり音色が課題に。すると後日、ウィーン・フィル首席奏者のヴォービッシュが「材質に問題があるのではないか。これで研究してほしい」と秘蔵のトランペットのベルの一部をいきなりハサミで切り取ってヤマハのスタッフに託したのだという。音楽家生命を賭ける必死の思いと、それに応えようとする技術者たちの信頼と絆はしだいに深まり、試作・試奏・改良が重ねられた。「音色を求めると音程が、音程を追うと音色が劣化するといういたちごっこ」を無数に繰り返すこと約5年。この間に、やはり伝統モデルの衰退を憂うホルン、トロンボーン、オーボエ、ファゴット奏者たちからも開発依頼が持ち込まれることになる。

一方で「日本人が作った楽器を吹くのは恥」というアンチ・ジャパニーズの逆風もあった。しかし、やがて楽器の品質の高さに気づき、その偏見を捨てて熱烈なヤマハファンになった演奏家も出てきた。「楽器の欠点をカバーしながら演奏しなければならず、音楽に没頭できなかった奏者たちが、楽器への不安が減って、音楽的に進歩できた」という事実が、このプロジェクトの成功を何よりも力強く物語っていた。
こうしてヤマハは、途切れかけていたウィーンの音の伝統をつなぐという大きな役割をまっとうした。ウィーン・フィルの当時の理事長は、1986年の同フィルのコンサートプログラムに「ヤマハに対し大いなる感謝をささげたい」と異例の謝辞を寄せ、労をねぎらったという。それは、音楽家たちと手を携え、未踏の領域を開拓した技術者たちへの、大きな贈り物となった。

本書には、当時ヤマハが欧州の一部に限定して販売していた「ウィンナモデル」のカタログが掲載されており、資料としての価値も高い。また、ウィンナモデルを開発する過程において元の楽器をどのように分析したのか、どのような調整を行っていったのかなどの情報も記されている。本書の後半では、ウィンナモデル開発がきっかけになって進展した技術や管楽器製造現場の実情なども知ることができる。
音楽家の情熱と感性、それを正確に理解して開発・設計に生かした技術者の経験とノウハウ、それらの掛け算が不可能を可能にした物語。共にひとつのことを成し遂げようとする登場人物たちの、誇り高い思いに胸が熱くなる。現代の管楽器開発へと続く道筋もわかり、すべての管楽器奏者、管楽器ファンはもちろん、音楽が好きな方ならば誰もが楽しく読める1冊だ。

■作品紹介

『こうして管楽器はつくられる【開発編】〜ウィーン・フィルを支えた管楽器開発の舞台裏〜』
発売元:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス
発売日:2020年2月21日
価格:1,800円(税抜)
詳細はこちら

特集

八代亜紀さん

今月の音遊人

今月の音遊人:八代亜紀さん「人間だって動物だって、音楽がないと生きていけないと思います」

8252views

音楽ライターの眼

ブルースの名門レーベル“アリゲイター・レコーズ”が創立50周年

1459views

最新の音響解析技術で低音域のパワフルな音量と響きを実現

楽器探訪 Anothertake

アコースティックギター専用の音響解析技術で低音域のパワフルな音量と響きを実現

8387views

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

楽器のあれこれQ&A

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

43910views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

8729views

テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

オトノ仕事人

【サインCDプレゼント】テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

13432views

HAKUJU HALL(白寿ホール)

ホール自慢を聞きましょう

心身ともにリラックスできる贅沢な音楽空間/Hakuju Hall(ハクジュホール)

19274views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

1752views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

11461views

われら音遊人

われら音遊人:ただ今、バンド活動リハビリ中!

6645views

パイドパイパー・ダイアリー Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

楽器は人前で演奏してこそ、上達していくものなのだろう

6862views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

26565views

ホルンの精鋭、福川伸陽が アコースティックギターの 体験レッスンに挑戦! Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ホルンの精鋭、福川伸陽がアコースティックギターの体験レッスンに挑戦!

9122views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

17048views

ルッカの生家前にあるプッチーニの像

音楽ライターの眼

フィギュア・スケートの選手たちに愛されるプッチーニの『トゥーランドット』 vol.1

24132views

オトノ仕事人

プラスマイナス0.05ヘルツまで調整する熟練の技/音叉を作る仕事

24320views

われら音遊人:Kakky(カッキー)

われら音遊人

われら音遊人:オカリナの豊かな表現力で聴いている人たちを笑顔に!

6972views

マーチング

楽器探訪 Anothertake

見て、聴いて、楽しいマーチング

13607views

アクトシティ浜松 中ホール

ホール自慢を聞きましょう

生活の中に音楽がある町、浜松市民の音楽拠点となる音楽ホール/アクトシティ浜松 中ホール

12074views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

音楽知識ゼロ&50代半ばからスタートしたサクソフォンのレッスン

6789views

楽器のあれこれQ&A

いまさら聞けない!?エレクトーン初心者が知っておきたいこと

21571views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

7957views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

22661views