Web音遊人(みゅーじん)

連載11[ジャズ事始め]美貌の奇術師率いる天勝一座が運んできたジャズの香りとフィリピン・ルート

関西に進出し、「ジャズ・バンドなら井田一郎」と言わしめるまでにシーンを席巻した井田一郎は、大正天皇の崩御による服喪の影響で次々とダンスホールが廃業を余儀なくされた大阪を早々に見限り、1928年(昭和3年)3月初旬に仲間を引き連れ、東京へ戻ってきていた。これをきっかけに、大阪を中心としたダンスホール=ジャズの勢いは下火となり、ミュージシャンの流出は加速してしまう。

井田が東京で結成したいくつかのバンドのひとつで出逢ったのが、前稿で挙げた2名、飯山茂雄とリノ・カブロである。

ドラムスの飯山は、天勝一座のバンドの一員として上京していたところをスカウトされた。

天勝一座というのは、女性奇術師として一世を風靡した 松旭斎天勝しょうきょくさいてんかつ が率いたエンタテインメント・ユニット。こうした“一座”は、さまざまな演目をそろえて各地を巡業する営業スタイルをとっていた。活動範囲は、国内のみならず海外にまで及ぶほどだったから、プログラムもヴァリエーションが豊富だったものと思われる。

1924年(大正13年)1月に横浜港を出立した天勝は、ホノルル経由でサンフランシスコに上陸。ここを起点にアメリカ興行をスタートさせ、1年以上をかけてカナダを含めた全米各地を巡った。

天勝がジャズ史に名を遺している理由は、一座がアメリカ公演を行なった際、当時の最先端ダンス音楽だったジャズの演奏をそのプログラムに加えたから。

現地でミュージシャンを調達しながら興行を続けた一座は、外国人メンバーを引き連れて帰国すると、1925年(大正14年)6月末に東京の帝国劇場で凱旋公演を行なって、日本におけるジャズの火をさらに大きく燃え上がらせる役割を果たしたのである。

この一座が帰国後に国内巡業をしていた際に参加していたのが飯山。アメリカ帰りの一座で専属を務めたことを考えるとジャズのウデも確かで、そこを井田に見込まれたに違いない。

井田はほかにも、「ジャズ・バンドなら井田一郎」の名声に恥じないメンバーを集めるために奔走しているが、そのなかにサックスのリノ・カブロもいた。

リノ・カブロは上海から流れてきたフィリピン出身のミュージシャンで、当時の日本には彼と同じような経歴のミュージシャンが多くいたと思われる。

そのころの事情を示すものとして、1928年に録音された、天野喜久代の歌う「月光価千金」というレコードを例に挙げてみたい。

天野は帝劇歌劇部出身で、浅草オペラなどを活躍の場とした、日本ジャズ黎明期のジャズ・シンガーのひとり。バックを務めたのは“コロムビア・ジャズバンド”という名の匿名的なメンバーで、おそらくジャズ演奏に自信のある市中のプロを引き抜いて結成したスタジオ・ミュージシャン・バンドだと思われる。

この“コロムビア・ジャズバンド”のメンバーのひとりが(そのソロ演奏の特徴から)フィリピンからハワイ、日本へと渡ってきたヴィディ・コンデではないかとされている。バンド自体もフィリピン出身者の割合が多かった。

ちなみに、ヴィディ・コンデは弟のグレゴリオとレイモンドとともに三兄弟でバンドを結成するなど、第二次世界大戦の前後に日本のジャズ・シーンを大いに賑わせたミュージシャンである。

こうした記録が残っているのは、リノ・カブロのように上海を経由したり、ヴィディ・コンデのようにハワイヘ渡って日本にやってきたフィリピン出身のミュージシャンがそれほど珍しくなくなっていたからなのだけれど、次回はフィリピンと日本のジャズを結ぶ“基軸”になったと思われる上海の話に移っていきたい。

参考:『日本ジャズの誕生』瀬川昌久、大谷能生(青土社)

「ジャズ事始め」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

特集

古澤巌さん

今月の音遊人

今月の音遊人:古澤巌さん「ジャンルを問わず、父が聴かせてくれた音楽が今僕の血肉になっています」

19891views

なぜジャズのハードルは下がらないのか?vol.5

音楽ライターの眼

なぜジャズのハードルは下がらないのか?vol.5

6972views

reface

楽器探訪 Anothertake

個性が異なる4機種の特徴、その楽しみ方とは?

9265views

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

楽器のあれこれQ&A

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

49922views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

11682views

テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

オトノ仕事人

【サインCDプレゼント】テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

16915views

久留米シティプラザ - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

世界的なマエストロが音響を絶賛!久留米の新たな文化発信施設/久留米シティプラザ ザ・グランドホール

21677views

こどもと楽しむMusicナビ

親子で参加!“アートで話そう”をテーマにしたオーケストラコンサート&ワークショップ/第16回 子どもたちと芸術家の出あう街

6461views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

14523views

われら音遊人ー021Hアンサンブル

われら音遊人

われら音遊人:元クラスメイトだけで結成。あのころも今も、同じ思いを共有!

6617views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

いまやサクソフォンは趣味となったが、最初は映画音楽だった

7479views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11749views

【動画公開中】沖縄民謡アーティスト上間綾乃がバイオリンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】沖縄民謡アーティスト上間綾乃がバイオリンに挑戦!

10433views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

9508views

音楽ライターの眼

連載45[ジャズ事始め]アジアをジャズの発信源にしようとした“エイジアン・ファンタジィ・オーケストラ”という試み

2127views

西本龍太朗

オトノ仕事人

アーティスト・聴衆・新聞の交点に立つ/音楽記者の仕事

911views

われら音遊人

われら音遊人:ママ友同士で結成し、はや30年!音楽の楽しさをわかちあう

6320views

楽器探訪 Anothertake

奏者の思いどおりに音色が変化する、豊かな表現力を持ったグランドピアノ「C3X espressivo(エスプレッシーヴォ)」

11900views

サントリーホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

クラシック音楽の殿堂として憧れのホールであり続ける/サントリーホール 大ホール

26268views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

クラス分けもまた楽しみ、レッスン通いスタート

5455views

楽器上達の心強い味方「サイレント™シリーズ」&「サイレントブラス™」

楽器のあれこれQ&A

楽器上達の心強い味方「サイレント™シリーズ」&「サイレントブラス™」

41883views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

8692views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

34873views