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今月の音遊人:五嶋みどりさん「私にとって音楽とは、常に真摯に向き合うものです」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase5)ショスタコーヴィチ「交響曲第12番」とイーグルスと浜田省吾、それぞれの“希望ヶ丘ニュータウン”
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2023.8.7
tagged: イーグルス, 浜田省吾, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ショスタコーヴィチ
ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906~75年)の15番まである交響曲のうち「第12番ニ短調『1917年』Op.112」は評価が高くない。ロシア革命を題材にし、1961年に初演されたが、体制迎合とみられがちだ。しかし「レーニンの思い出に捧げる」という副題に注目したい。スターリンの恐怖政治を経て社会主義の理想は遠ざかり、作曲家が見た革命は思い出という抒情に変わっていた。資本主義社会の米国と日本にも、似た抒情がある。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」と浜田省吾の「PROMISED LAND 〜約束の地」というロックの名盤だ。異なる社会が築いたそれぞれの“希望ヶ丘ニュータウン”の理想と現実を聴く。
ショスタコーヴィチは旧ソ連の御用作曲家を装いながらも、粛清されないぎりぎりのレベルで抵抗し、暗号的な音型を用い、体制への批判や怒りを作品に刷り込んだ。こうして「交響曲第5番」や「同8番」などは両義性を持つことになり、冷戦時代の西側諸国からも高く評価された。だが「第12番」だけは違った。
「第12番」が作曲された時代の背景を見てみよう。スターリンはすでに53年に死んでおり、36年のプラウダ批判、48年のジダーノフ批判といったショスタコーヴィチの生存を脅かしたスターリン時代の芸術批判は撤回され、対象作品の名誉回復もなされていた。こうしたなか、両義性の作曲家の立場を揺るがす新たな脅威が浮上する。フルシチョフ体制下、ソ連共産党への入党を強いられたのだ。
1961年9月、ショスタコーヴィチはソ連共産党員になった。同年10月、「第12番」はエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団によって初演され、ソ連共産党第22回大会が開かれたモスクワでも開会前日、コンスタンチン・イワーノフ指揮ソ連交響楽団が演奏した。この経過は不幸だ。ショスタコーヴィチはついに体制側の権威と化し、フルシチョフ政権に忖度し、ロシア革命を礼讃する交響曲を書いた、と見られても仕方ない。だが本当にそうなのか。
「第12番」の影が薄い理由は彼の他の作品との比較にもよる。同じロシア革命を題材にして21歳の若さで書いた「交響曲第2番ロ短調『十月革命に捧げる』Op.14」は、27の声部が不規則に発展するウルトラ対位法をはじめ、前衛手法を駆使したロシア・アヴァンギャルドの傑作。また、前作の「交響曲第11番ト短調『1905年』Op.103」は、日露戦争の最中に起きた血の日曜日事件を叙事的に描いた音楽映画とも呼ぶべき約60分の大作だ。
これに対し、「第12番」は約40分と短い。両端楽章にソナタ形式を採用し、ベートーヴェン以来の「苦悩から歓喜へ」の式次第に基づく典型的な4楽章構成。珍しい楽器は登場せず、叙事的なストーリー性も薄い。要は物足りないと思われがちなのだ。
それでも定評という偏見を排せば、「第12番」は名曲に変わる。彼の全交響曲の中で最も構成が整っているかもしれない。第1楽章「革命のペトログラード」から第4楽章「人類の夜明け」まで切れ目なく演奏され、実は劇的だ。ロックのようなビートに乗って複数主題が絡み合い疾走する第1楽章の展開部は、息つく暇もないカッコよさ。第2楽章の静かな思索を経て、第3楽章の最後に激烈な行進曲で戦闘開始。第4楽章は勝利と歓喜の頂点を築く。
11歳のショスタコーヴィチは地元ペトログラード(サンクトペテルブルク)でレーニンと革命を目撃したといわれる。少年がどのような夢と希望、もしくは恐怖と不安を抱いたかは定かではないが、その後の粛清と戦争の時代による幻滅を経て、「第12番」の作曲時には革命は遠い思い出、抒情に変わっていたと思われる。素朴な主題が多い「第12番」はチャイコフスキーに通じる抒情的なロマン派交響曲である。政治的背景や社会主義リアリズムの先入観を捨て、作曲家個人の声に耳を傾ければ、急に魅力あふれる音楽となり、聴き手の琴線に触れ始めるのだ。
理想と現実のはざまに揺らめく抒情は資本主義社会の米国にもある。個人の自由と民主主義の国の理想は、一攫千金の一代記、アメリカンドリームにほかならない。夢が実現しないとき、もしくは実現しても富に溺れて身を滅ぼすとき、抒情は歌われる。イーグルスの5作目のアルバム「ホテル・カリフォルニア」(1976年)だ。
このアルバムではイーグルスの米西海岸風の明るさに影が差す。1曲目「ホテル・カリフォルニア」はロ短調の暗い抒情に満ちている。富と自由の果ての薬物依存を暗喩するコリタスが匂い立つ中、ビバリーヒルズあたりの架空のホテルに着いた登場人物。好きなときにチェックアウトはできるが、離れることはできない。終曲「ラスト・リゾート」は開拓時代を描き、もうフロンティアがない現代を歌う。病んだ米国を描きつつも、郷愁や郷土愛が感じられる。
日本はどうか。工業地帯が見える丘をパワーシャベルで削り、同じような小さな住宅が建つ。浜田省吾は、希望ヶ丘ニュータウンと名付けられたその街から出て行くことを誰もが夢見ている、と「マイホームタウン」で歌っている。この曲を収めたアルバム「PROMISED LAND 〜約束の地」(1982年)は浜田の全作品の中でも屈指の名盤。「希望ヶ丘ニュータウン」は実際の地名ではなく、高度経済成長を続けた戦後日本社会の暗喩だ。
気候変動の問題が深刻化し、SDGs(持続可能な開発目標)が叫ばれる現在、「PROMISED LAND 〜約束の地」は説得力を増している。終曲「僕と彼女と週末に」では、波打ち際に打ち上げられた数えきれないほどの魚について語る詩を通じて40年以上も前に環境問題を提示していた。浜田の「約束の地」は、旧ソ連や米国や日本の域を越え、地球そのものへと詩的イメージを広げる。
ショスタコーヴィチとイーグルスと浜田省吾。三者三様の社会で人々が掲げた理想は遠のき、それぞれの希望ヶ丘ニュータウンは現実の中で苦悩する。しかし希望ヶ丘ニュータウンがひとたび音楽になれば、思い出のような抒情が溢れ出し、聴き手を癒し、力づけ、励ます。三者の名曲をまた聴きたくなる理由はそのあたりにある。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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