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今月の音遊人:村松崇継さん「音・音楽は親友、そしてピアノは人生をともに歩む相棒なのかもしれません」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase7)ブーレーズとベリーのパラレルワールド、現代音楽はイノベーションのジレンマか
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2023.9.6
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ピエール・ブーレーズ, チャック・ベリー
フランスの作曲家ピエール・ブーレーズ(1925~2016年)は現代音楽の旗手だった。では「現代の音楽」の旗手は、と言えば、ポピュラー音楽を含め異論が出る。20世紀後半、人々が最も支持した音楽はロックだろう。ロックンロールの創始者の一人、米国のチャック・ベリー(1926~2017年)はブーレーズと同時代を生きた。現代音楽とロックのパラレルワールドの出現である。そこには経営学理論で言う「イノベーションのジレンマ」があった。破壊的イノベーションの視点から2人の音楽をシン・発見しよう。
ブーレーズは指揮者としても名高いが、彼の作品を毎日愛聴する人はどれだけいるだろうか。難解という先入観がある。専門知識がないと理解できないと思い、コンプレックスを抱く人も多そうだ。シェーンベルクやウェーベルンの無調や十二音技法の音楽を聴き込んでいなければブーレーズの作品は楽しめないのか。知的エリートのための、凡俗を寄せ付けない孤高の前衛音楽。本当にそうだろうか。
例えば、音高や音価(音の長さ)、アタック(音の立ち上がり)などを音列で組織化するトータル・セリエリズム(総音列主義)の代表作「2台のピアノのためのストリュクチュール(構造)第1巻」(1952年)と「同第2巻」(1961年)。メロディーは感じられず、口ずさむのは無理だが、激しかったり、穏やかだったり、響きの表情が変化するのは分かる。ピアノの硬質な音色も心地よい。抽象絵画を部屋に飾りたくなる。19世紀パリの街並みを越えて見えてくる現代建築群──。「素直に知覚を開いて聴けばいい」。ブーレーズ作品の演奏を推進するピアニストの瀬川裕美子氏はこう話す。難しく考えず、知覚を全開にして聴いて楽しめばいいわけだ。
「ストリュクチュール」は、オリヴィエ・メシアンがピアノ曲「4つのリズムのエチュード」の第2曲「音価と強度のモード」(1949年)で初めて実践したトータル・セリエリズムを徹底させた作品。「メシアンよりもブーレーズのほうが聴きやすい」と瀬川氏。「メシアンは音高やアタックなどによって音を点として決めた。これに対しブーレーズは領域に着目する。音列自体を聴き取ろうとするより、領域的聴き方をしてみるのがいいと思う」(同)。明瞭に尖ったり、複雑に濁ったり、聴こえるままに感知して楽しみたい。
ではブーレーズの作品は専門家のためのアカデミックな音楽ではないのか。「彼はアカデミズムが形成されてそれを後追いする状況を嫌った」と瀬川氏は指摘する。ブーレーズはパリ国立高等音楽院でメシアンに師事したが、中退。権威ある人々と対立しがちなのだ。その後、ルネ・レイボヴィッツから音列技法を学ぶが、基本的には独学だった。
「錯乱を組織するのがブーレーズの考え方。シェーンベルクについても、十二音技法の先生と目される前の、もがいている状態、『3つのピアノ小品Op.11』(1909年)の頃をブーレーズは好んだ」。そう語る瀬川氏は、ブーレーズ自身がもがき、ソナタの型を打ち破ろうとした「ピアノソナタ第2番」(1948年)に関心を持つ。2023年10月と24年1月、異なるプログラムで「同2番」を公演する予定だ。「ブーレーズの音楽は形式に対するリアクション。彼は歴史や状況に反応し続ける。ロックの形式を打ち破るフランク・ザッパの音楽も評価していた」。ブーレーズはロックにも関心を示していたのだ。
ロックの歴史はブーレーズが活躍した時代と重なる。ロックンロールの先駆者チャック・ベリーはブーレーズの1年後に生まれ、没年も1年違い。エルヴィス・プレスリーやジョン・レノンの生涯はベリーが生きた時代の中に収まる。
ベリーは1955年にシングル「メイベリーン」でデビュー。ダックウォークによるエレキギターの演奏で一世を風靡した。「ロール・オーバー・ベートーヴェン」や「ジョニー・B.グッド」を聴けば、クラシック音楽を物ともしない反権威の姿勢は明らかだ。ビートルズやローリング・ストーンズへの影響は絶大で、以後、ロックは商業的に音楽の中核を担っていく。ベリーは86年、米国で創設された「ロックの殿堂入り」の受賞者第1号となった。
ロックは音楽の破壊的イノベーションだ。米国の経営学者クレイトン・クリステンセンの主著「イノベーションのジレンマ」(1997年)が思い浮かぶ。超優良の大企業は顧客のニーズに正しく応えようとして製品の高性能化という持続的イノベーションに努める。やがて顧客は高性能に追随できなくなる。その隙に新興企業がオモチャのように簡易な製品で破壊的イノベーションを起こし、市場を塗り替えるという理論。フィルムカメラとデジタルカメラをはじめ事例は多々ある。後期ロマン派以降、西洋音楽は作曲技法を高度化し、聴衆が付いていけなくなった。その間隙を突いてシンプルなロックが登場し、人々の心をつかんだ。
西洋音楽史にはほかにもイノベーションのジレンマの例がある。18世紀、バロック音楽はポリフォニー(多声)と通奏低音の技術をベースに精緻化し続けた(=持続的イノベーション)。そこに登場したのが前古典派のサンマルティーニや古典派のハイドンの交響曲(=破壊的イノベーション)。シンプルで親しみやすい主題を展開させ、分かりやすい和声を付けるホモフォニーの音楽だ。史上まれにみる単純化であり、ミラノやロンドンなどで人気を博した。確かにハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンは、破壊的イノベーションによる新パラダイムの中でソナタ形式の技巧を凝らし、フーガのような対位法をはじめバロックからの手法も応用しながら、古典派音楽を急速に高性能化した。だがそこには市民という新たな聴衆の支持があった。
今、聴衆に支持されているのは現代音楽かロックか。ロックに分がありそうだが、ブーレーズの作品も破壊的イノベーションかもしれない。ブーレーズは聴衆のニーズに正しく応えようとしてクラシック音楽を高性能化したわけではないからだ。
誰にも迎合せず、我が道を突き進んだブーレーズ。聴衆は彼の音楽に追随できていないが、聴き手の趣向が変化する可能性も今後考えられる。かつて古典派を経てロマン派初期にバロックの大家バッハの音楽が復活した例もある。無調や十二音技法、トータル・セリエリズムのサウンドに現代人の耳は慣れてきていないか。ウェーベルンやブーレーズの音楽はBGMとして聴いてもクールだったりする。2025年はブーレーズ生誕100周年。ブーレーズがポップになる、そんな時代が近く来ないとも限らない。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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