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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase18)シベリウス「交響曲第2番」、凱歌をもたらす悲歌の働き、クイーンのヒット曲にも
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2024.2.19
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, シベリウス, クイーン
フィンランドの作曲家ジャン・シベリウス(1865~1957年)は7つの交響曲(第1~7番)で名高い。特に人気なのは「交響曲第2番ニ長調Op.43」。明快な構成と美しい旋律、最後に金管楽器による輝かしい凱歌。ロシアの圧政に屈しないフィンランド人の心情の象徴といわれるが、本当だろうか。娘の死の悲しみとその後に旅したイタリアの陽光の反映だけでもない。「第2番」には交響曲形式の論理的探究がある。凱歌の感動をもたらす悲歌の働きはクイーンのヒット曲にもみられる。
シベリウスの音楽といえば、フィンランドの森や湖、ロシア圧政下での不屈の民族精神を浮かべがちだ。しかしチェコのスメタナのような国民楽派にとどまらない。交響曲第1~7番では形式の論理を探究する絶対音楽の姿勢をみせる。シベリウスが少数派のスウェーデン語系だったことが、民族主義を超える普遍性につながったともいわれるが、そうだろうか。
1809年、スウェーデンによる約600年の支配が終わり、ロシア帝国下でのフィンランド大公国が始まった。大公はロシア皇帝が兼ねたが、一定の自治が保障された。アレクサンドル2世による自由化の時代(1855~81年)には、スウェーデン語系の人々を中心にフィンランド語による芸術運動が隆盛した。「我々はもはやスウェーデン人ではないし、ロシア人にもなれない。ならばフィンランド人で行こう」が合言葉。フィンランド語系のエリアス・ロンルートが編纂した民族叙事詩「カレワラ」が注目された。ドイツの英雄伝説と同様、スウェーデン語系もフィンランド語系も同じフィンランド人として自らの北欧神話を発見した。
ロシアの「圧政」が強まったのはニコライ2世の治世(1894~1917年)から。シベリウスは1892年、フィンランド語系のヤーネフェルト家の末娘アイノと結婚。同年、「カレワラ」を題材にした声楽付き交響詩「クレルヴォ」を初演。1900年には交響詩「フィンランディア」を初演し、国民的作曲家となった。1904年にはロシア人のフィンランド総督ボブリコフがスウェーデン語系の青年に暗殺された。フィンランドは1917年に独立。1941~44年の継続戦争ではカレワラ発祥の地である旧ソ連領の東カレリア地方に侵攻し敗れた。
「交響曲第2番」が人気の理由
一連のフィンランド史にシベリウスの民族ロマン主義音楽は無縁ではない。だがそれだけならば「遅れてきた国民楽派」にすぎない。シベリウスは「クレルヴォ」の生前中の出版・再演を禁じたが、政治よりも芸術上の理由だ。彼はワーグナーに傾倒し、「カレワラ」によるオペラに取り組んだが、完成しなかった。挫折を経て、絶対音楽としての純粋器楽の交響曲へと向かう。始まりが1899年の「第1番」と1902年の「第2番」だ。
第1~7番では、ソナタ(提示部→展開部→再現部)や主題労作(主題の分解・展開)など、交響曲で自明の理だった形式の成立条件を現象学的に問い、新たな可能性を提示する。中でも「第2番」がポピュラーなのは、ベートーヴェンの「第5番(運命)」以来の「暗から明へ」という人気のある4楽章の交響曲形式を扱っているからだ。
とはいえ、「第2番」第1楽章は明るいニ長調で始まる。第4楽章で大きな感動をもたらすならば「明から明へ」では足りない。凱歌の感動を最大化するには悲歌との対比の働きが要る。「第2番」のスケッチは1901年、家族で旅したイタリアで書かれた。シベリウス夫妻は前年、三女を亡くしており、旅行は一種の転地療法。第1楽章の明るさは南欧の陽光だ。第2楽章ニ短調の沈鬱な第1主題は死のテーマ。これで楽章ごとに明暗を織り込んだ。
超高速の第3楽章スケルツォから切れ目なくニ長調の第4楽章に突入する。この終楽章のソナタ形式にも暗さを盛り込む必要がある。それが、底知れない哀感と情念を秘めた嬰ヘ短調の第2主題。提示部での第2主題は、半音階風に渦巻く低音弦に乗って、木管を中心に静かに登場する。はかなくも素朴な悲歌だ。
続く展開部は、第1主題と第2主題の素材を絡めて明暗が交錯し、ドミナント(属調)のイ長調に達するまでの70小節(第4楽章全体の小節数の19%)にすぎず、非常に短く簡潔。そして展開部が行き着いたドミナントを踏み台にして、ニ長調の第1主題による大規模な再現部が始まる。普通のソナタ形式とは異なり、再現部が展開部よりも強大なのがこの楽章の特異なところ。第1主題の再現部では木管楽器群が執拗に和音を刻み続ける。雄大な旋律の隅々にまで木管の4分音符の和音がビートのように行き渡る。
そしてついに重大局面。第2主題の再現部。ニ短調に姿を変えた悲歌は、次第に熱量を上げながら、演歌にも似た情念を込めて反復し、最大限の威力を放つ。主題労作ではなく、主題自体を執拗に繰り返して聴き手の感情を揺さぶる。この反復法は凡庸でも安易でもなく新しい。その後のロック、ミニマルミュージック、テクノなども反復効果を追求した。特大級の悲歌との対比があってこそ、最後の凱歌が大きな感動を呼ぶ。
再現部での第2主題の小結尾部は、提示部ですでに聴いたにもかかわらず、全曲の終わりに向かって真に明転する期待を漂わせつつ新鮮に響く。小結尾部での二短調(Dm)からニ長調(D)への同主調転調のプロセスはDm→B♭→F→C→Dm→C→B♭→Edim→D。途中にヘ長調(F)が印象深く入り、ポップスで使われる「F→Dm→D」という短3度転調(平行調同主調転調)を仄めかすところも親しみやすさの秘訣だ。最後は第1主題と第2主題を融合したニ長調の凱歌をトランペットが高らかに鳴らす。ティンパニの地響きの中、圧倒的な勝利で締めくくる。これに感動しない人はいない。
クイーンの「伝説のチャンピオン」(1977年)に感動しない人もいない。フレディ・マーキュリー作詞作曲の傑作はハ短調の沈鬱な悲歌とピアノで始まる。一人称単数(I)で歌われるのは、濡れ衣を着せられ、嘲笑されたが、俺は絶対に負けないといった内容。屈辱と反骨の歌はハ短調から変ホ長調へと平行調転調し、変ホ長調のドミナントである変ロ長調に達する。だがそこから変ホ長調には戻らず、意外な調性へと飛躍する。変ロ長調からさらに全音上げたハ長調を新たなドミナントにし、ヘ長調によるサビの凱歌が始まるのだ。ここで主語が一人称複数(we)に変わり、「俺たちは勝者だ、友よ」と歌う。
ハ短調から遠隔調のヘ長調に駆け上がる「伝説のチャンピオン」の劇的効果は計り知れない。悲歌の働きが最強の凱歌をもたらす。ただ、ヘ長調のサビはかりそめの全音上げ転調という不安定な土台の上に成り立っており、勝者の保証の無さを物語る。「暗から明へ」の危うさを描き込むフレディのリアリズムもこの曲の魅力だ。
シベリウスはその後、スケルツォとフィナーレを混合させた3楽章構成の「交響曲第3番」、4楽章構成を内包する二重機能形式による単一楽章の「交響曲第7番」など、斬新な作品を書いた。同時代のシェーンベルクとは異なり、調性音楽の新たな可能性を追求した。だが1930年代以降はほとんど何も作曲しなくなった。シベリウスの志を継ぐのは誰か。クイーンの名曲も聴きながら考えたい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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