Web音遊人(みゅーじん)

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#035 既存ジャズのセオリーを打ち破って生まれたヒーリング・ミュージック~チック・コリア『リターン・トゥ・フォーエヴァー』編

マイケル・マヌージアン撮影の、海面すれすれを滑空する“カモメ”の写真によるジャケットが印象的な作品です。

“カモメ”だと思っていたその鳥が“カツオドリ”だと知ったのは、だいぶあとになってからだったかな……。

ちょうど本作がリリースされたころに、世界的なベストセラーになったリチャード・バック著『かもめのジョナサン』が話題になっていたので、“ジャズ界隈”もそれにひきずられたというか乗っかろうとしていたのかもしれません……。

本作の内容も、“カツオドリ”を“カモメ”だと誤認していたような部分があるかもしれないので、そのあたりの更新ポイントを探しながら、聴き直してみたいと思います。


リターン・トゥ・フォーエヴァー/チック・コリア

アルバム概要

1972年に米ニューヨークのA&Rスタジオでレコーディングされた作品です。

オリジナルはLP盤でリリースされ、A面3曲、B面1曲の合計4曲を収録。CD化でも同曲順同曲数でリリースされています。

メンバーは、エレクトリック・ピアノ(=フェンダー・ローズ)がチック・コリア、ピッコロ&フルート&ソプラノ・サックスがジョー・ファレル、アコースティック・ベース&エレクトリック・ベースがスタンリー・クラーク、ヴォーカル&パーカッションがフローラ・プリム、ドラムスがアイアート・モレイラの5人編成。

全曲、チック・コリアの作曲で、『ホワット・ゲーム・シャル・ウィ・プレイ・トゥデイ』はネヴィル・ポーターとの共作、『サムタイム・アゴー~ラ・フィエスタ』はポーターおよび参加メンバー全員との共作とクレジットされています。

“名盤”の理由

チック・コリアがマイルス・デイヴィスのグループに参加したのは1968年、27歳のとき。『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年)、『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)と、ジャズ・シーンを揺るがすエポックメイキングな作品でエレクトリック・ピアノを担当し、一躍時代の寵児になりました。

マイルス・デイヴィスのグループを離れ、フリー・ジャズのユニットでの活動を経た1971年、彼は『ビッチェズ・ブリュー』とそのあとのライヴ(『マイルス・デイヴィス・アット・フィルモア』など)で共演していたアイアート・モレイラと、20歳になったばかりのスタンリー・クラークとともにバンドを結成して、翌年にはレコーディングに臨もうとします。

それが本作でした。

すでにマイルス・デイヴィスのもとで既存のジャズから大きくはみ出たコンセプトを具現していた彼は、本作でもまったく新しいサウンドをめざしています。

具体的には、ブラジル出身のアイアート・モレイラとそのパートナーであるフローラ・プリムをフィーチャーすることで、ポスト・ボサノヴァともいうべきフュージョンの先駆けとなるサウンドを示した──ということです。

いま聴くべきポイント

ポスト・ボサノヴァを掘り下げるには、チック・コリアが『リターン・トゥ・フォーエヴァー』へ至るまでに大きな影響を受けていたであろうミュージシャンについて触れておかなければなりません。

その人とは、スタン・ゲッツです。

スタン・ゲッツは、まだ10代だった1940年代半ばからプロの最前線で活躍していたような、ジャズ界を代表するテナー・サックス奏者。その業績のなかでも特筆すべきなのが“アメリカへボサノヴァを輸入した”ことでした。

ギターのチャーリー・バードとの共作『ジャズ・サンバ』(1962年)はグラミー賞とゴールドディスク、ボサノヴァのオリジネーターであるジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンとの共作『ゲッツ/ジルベルト』(1963年)はグラミー賞4部門を独占と、まさに時代の変わり目を予感させる作品に関わっているのがスタン・ゲッツなのです。

チック・コリアは、そんなスタン・ゲッツのバンドに、マイルス・バンドへ入る前の1967年に参加していて、楽曲を提供したアルバム制作も行なっています。

もともとチック・コリアがラテン・フレーヴァーなスタイルを備えていたから、ボサノヴァで名を馳せたスタン・ゲッツのバンドに呼ばれたことは想像に難くないわけですが、それ以上に本作が生まれるきっかけが、スタン・ゲッツと関係していると考察できる“状況証拠”もあったりします。

というのも、本作のレコーディングの数か月前、チック・コリアとスタン・ゲッツは偶然にロンドンで再会。そのときにチック・コリアが進めていた本作の内容に興味をもったスタン・ゲッツは、そのレコーディングの1か月後に自分のアルバム『キャプテン・マーヴェル』を制作するという行動に出ているのです。

この『キャプテン・マーヴェル』、チック・コリア、スタンリー・クラーク、アイアート・モレイラ、そしてもうひとりのドラマーのトニー・ウィリアムスという布陣で、収録6曲中5曲がチック・コリア作曲という内容。

さらにスタン・ゲッツは、チック・コリア、スタンリー・クラーク、トニー・ウィリアムスを引き連れて1973年開催のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演しています。

どちらが“裏”でどちらが“表”かは定かではありませんが、チック・コリアがスタン・ゲッツと同じような“視座”でアルバムづくりを考えていたとしたら、『キャプテン・マーヴェル』に『リターン・トゥ・フォーエヴァー』が吸収されてしまったかもしれません。

しかし、“他人と同じことをしない”のがジャズのアイデンティティなのですから、1か月後にレコーディングしようとしているスタン・ゲッツの意図を察したチック・コリアが、あえて違うアプローチを選んだとも考えられます。

その“違うアプローチ”のためのポイントとなる“視座”の違いとは、ジャズ(=ハード・バップのスタイル)を踏襲しながら流行のボサノヴァをバランスよく取り入れることができたヒットメーカーのスタン・ゲッツと、フリー・ジャズを模索するなかでジャズの型にとらわれないクロスオーヴァーなサウンドを見つけていったチック・コリア──といえばいいでしょうか。

『キャプテン・マーヴェル』を改めて本作と聴き比べてみて着目したのは、スタン・ゲッツがアイアート・モレイラよりもトニー・ウィリアムスを選んだという“センスの違い”でした。そこに、本作を“名盤”に位置づける決定的な要因があるのではないかと思ったわけです。

それはつまり、アイアート・モレイラのドラミングのしなやかさこそが、本作に漂うヒーリング・ミュージック的な世界観を成立させる重要なポイントだったのだ、と──。

では、トニー・ウィリアムスを選んだ“センス”がダメだったのかと言えば、実はチック・コリアもちゃっかり、1973年からの“第2期”と呼ばれる4人編成のリターン・トゥ・フォーエヴァー(こちらはバンド名)でロック・テイストのドラミングを取り入れていて、これもまた“ハード・フュージョンの先駆け”として一時代を築くことになったのですから、スタン・ゲッツのセンスとチック・コリアの応用力の双方に軍配を上げざるをえないのです。

「ジャズの“名盤”ってナンだ?」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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