Web音遊人(みゅーじん)

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#038 歴史的名曲“じゃない”曲で発揮されたディーヴァの本領を味わう~ビリー・ホリデイ『奇妙な果実』編

ジャズ・スタンダードとして知られるほとんどの曲が色恋沙汰をテーマにしていることに気づくと、本作のタイトル曲がいかに“異質”なのかがみえてくるのではないでしょうか。

1930年代のアメリカで黒人差別を扱うということが、どれほど先進的で、かつ危険なことだったのか……。

もちろん、『奇妙な果実』の歌詞には黒人差別を直接表現するようなワードは使われていません。しかし、「ここで歌われているのは、アレのことだ」ということを、当時のニューヨークの人たちは知っていました。

そして、みんなが知っていることを知りながら、自分のレパートリーとして取り上げて完成させたのが、ビリー・ホリデイだったのです。

本作のタイトル曲『奇妙な果実』を遺したからこそ、ビリー・ホリデイが女性ジャズ・ヴォーカルの系譜のなかで“別格”の扱いを受けるのだと、ボクは思っています。

そんな重~いタイトル曲をいまならどう扱えばいいのかを含めて、聴き直してみましょう。


Strange Fruit

アルバム概要

1939年に、A面『奇妙な果実(ストレンジ・フルーツ)』B面『ファイン・アンド・メロウ』というカップリングで、シェラック10インチのシングル盤がリリースされました。

LP盤になったのは1959年で、上記シングル音源のほか、1944年にレコーディングされた音源も収録したA面6曲/B面6曲の12曲構成。1972年には、A面8曲/B面8曲の16曲構成のLP盤も登場しています。

CD化では、12曲構成の同曲順ヴァージョンのほか、16曲構成ヴァージョンも“生産限定盤”としてリリースされました。

“名盤”の理由

タイトル曲『奇妙な果実』は、エイベル・ミーアポルが作詞・作曲した作品。

彼はロシア系ユダヤ人の移民の子としてニューヨークで生まれ育ち、高校教師として働くかたわら創作活動を続けていましたが、ある日、リンチによって殺され木に吊るされている黒人の写真を新聞で見て衝撃を受け、「苦い果実(Bitter Fruit)」という一編の詩を書きます。

この詩は共産党系の機関紙に発表されたほか(ミーアポルはアメリカ共産党党員でした)、メロディを付けたものを彼の妻が共産党や教職者組合の集会で歌っていたといいます。この歌が『奇妙な果実』のオリジナルになります。

やがてその凄惨な内容からこの歌が話題になると、ニューヨーク初の総合ナイトクラブ“カフェ・ソサエティ”の創設者バーニー・ジョセフソンを経由して、専属歌手だったビリー・ホリデイの知るところとなり、彼女のレパートリーになったということです(彼女のショーの演出をしていたロバート・ゴードンが紹介したという説もあり)。

その反響が大きかったことから、レコーディングのために契約中だったコロムビア・レコードと掛け合ったものの、センセーショナルすぎるということで断わられてしまいます。

そこで話を持ち込んだのが、カフェ・ソサエティの近所のレコード店が主宰していたインディペンデント・レーベル“コモドア”でした。

主宰者のミルト・ゲイブラーは彼女の歌を聴いて涙し、コロムビア・レコードからこのレコーディング・セッションの許可を得てシングルを制作することになった──という、成り立ちからして“名盤”の素質にあふれた作品だったのです。

いま聴くべきポイント

カフェ・ソサエティでは毎回『奇妙な果実』が始まる前に、ウエイターが客席から姿を消し、店内の照明が落とされて、ビリー・ホリデイを照らすスポットライトだけになる、という演出が施されたそうです。

それは、この曲の歌詞そのままに黒人に対するリンチが日常的に行なわれていた現状や、それを“見世物”に仕立てたステージに対して観客が興味津々であることへの、彼女の複雑な感情の表われとも言えるでしょう。

そんないろいろな意味での“痛み”を含んだ曲であるからこその“名盤”であるものの、85年後の現在、その“痛み”を共有することができるのか──。

いや、あえて言ってしまえば、共有できなくてもいいよ、というのが今回の結論。

というのは、コモドア・レコードでのこの一連のレコーディング・セッションは、ビリー・ホリデイにとって話題性があった『奇妙な果実』じゃない曲のほうが重要だったと思えるからです。

カップリングされたブルースの『ファイン・アンド・メロウ』だけでなく、LP盤の冒頭を飾る『イエスタデイズ』をはじめとしたバラードの数々は、彼女の哀愁を帯びた歌唱によって輝きを放ち、ビリー・ホリデイを「バラードの名手」として世に認知させることになったのですから……。

「ジャズの“名盤”ってナンだ?」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:宇崎竜童さん「ライブで演奏しているとき、もうひとりの宇崎竜童がとなりでダメ出しをするんです」

10660views

ジャズとデュオの新たな関係性を考えるvol.4

音楽ライターの眼

ジャズとデュオの新たな関係性を考えるvol.4

3559views

赤ラベルが再現!ヤマハギター50周年記念モデル

楽器探訪 Anothertake

赤ラベルが再現!ヤマハギター50周年記念モデル

11684views

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

楽器のあれこれQ&A

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

23806views

ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

13574views

オトノ仕事人

最適な音響システムを提案し、理想的な音空間を創る/音響施工プロジェクト・リーダーの仕事

2122views

しらかわホール

ホール自慢を聞きましょう

豊潤な響きと贅沢な空間が多くの人を魅了する/三井住友海上しらかわホール

13863views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

6941views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

13139views

われら音遊人

われら音遊人:ただ今、バンド活動リハビリ中!

8090views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

音楽知識ゼロ&50代半ばからスタートしたサクソフォンのレッスン

7995views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

25583views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

10433views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

世界に一台しかない貴重なピアノを所蔵「武蔵野音楽大学楽器博物館」

22816views

ヴァイオリンの街―クレモナの魅力

音楽ライターの眼

ヴァイオリンの街―クレモナの魅力

19440views

オトノ仕事人

音楽フェスのブッキングや制作をディレクションする/イベントディレクターの仕事

13322views

スイング・ビーズ・ジャズ・オーケストラのメンバー

われら音遊人

われら音遊人:震災の年に結成したビッグバンド、ボランティア演奏もおまかせあれ!

5918views

reface

楽器探訪 Anothertake

個性が異なる4機種の特徴、その楽しみ方とは?

7846views

しらかわホール

ホール自慢を聞きましょう

豊潤な響きと贅沢な空間が多くの人を魅了する/三井住友海上しらかわホール

13863views

山口正介 - Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

この感覚を体験すると「音楽がやみつきになる」

8592views

楽器のあれこれQ&A

きっとためになる!サクソフォンの基礎力と表現力をアップする練習のコツ

19250views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

10979views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10311views