Web音遊人(みゅーじん)

すべての人に音楽体験を届ける取扱説明書の工夫

すべての人に音楽体験を届ける取扱説明書の工夫

すべての人に音楽の喜びを──。そんな想いからヤマハが世に送り出したのは、片手だけで吹くことができるリコーダーや、年齢、経験、ハンディキャップに関わらず演奏できる「だれでもピアノ」などユニバーサルな楽器だけではありません。
今回は、視覚障がいのある方向けの取扱説明書についてご紹介。誕生のきっかけとなったのは、ヤマハ製品の相談窓口である「お客様コミュニケーションセンター」へ寄せられた声でした。そこにはどんな背景があり、いかにして実現したのでしょうか。
「お客様コミュニケーションセンター」の平井大生さんと、「製品情報デザイングループ」の遠藤幸夫さん、石川秀明さんに聞きました。

時代に先駆けて取扱説明書を電子化し、無料公開

楽器や製品を使用する際に欠かせない取扱説明書。「お客様コミュニケーションセンター」には、それを読むことが難しい視覚に障がいのあるお客様から、楽器や製品の操作方法に関するお問い合わせが数多く寄せられていました。
「とくに多かったのが、年々多機能化する電子楽器です。優れた聴覚を持ち、音楽に対してより深く関わりたいと願うお客様の気持ちがひしひしと伝わってきて、ときには何時間もかけて電話でご説明することもありました。そして私たちが言葉でご説明すると、驚くべき記憶力をもってご理解いただいていることも感じていました」(平井さん)
そうしたお客様に、もっと便利なサービスを提供できないだろうか。そこで、「製品情報デザイングループ」との連携で始まったのが、視覚に障がいのある方も使うことができる取扱説明書づくりでした。パソコンやスマートフォンなどのスクリーンリーダー(音声読み上げソフト)を使うことで、視覚に障がいがあっても容易に利用することができる取扱説明書を作成し、Webサイトで公開したのです。
その実現の背景には、25年も前にヤマハがいち早く取り組んだ取扱説明書の電子化がありました。
「1990年代より以前、印刷には写植(写真の原理を用いて印字する方法)が用いられていました。その後90年代になって、パソコン上で印刷物のデータを作成するDTPが主流になるなど、印刷工程がデジタル化していきました。また、90年代の半ばから後半にかけてはインターネットが普及し始め、PDFも広がりつつあった時代です。以前から取扱説明書を失くしてしまったお客様や取扱説明書が付属していなかった中古品を買ってしまったお客様から、取扱説明書が欲しいというお客様からの要望があり、それにお応えするにはPDF形式のデータとしてWebサイトで公開するのがよいのではないかという発想でした」
遠藤さんは、当時をそう振り返ります。
誰でも無料でダウンロードして使用できることが、新製品の市場よりも楽器の中古市場を活性化してしまう懸念もありましたが、1999年、ヤマハは世界に先駆けてインターネット上で取扱説明書を公開しました。
しかし、PDFをスクリーンリーダーで読む際の課題がありました。PDFは文字や図などをレイアウトした状態を保存するファイル形式のため、その性質上、見た目の順番どおりにスクリーンリーダーで読み上げられないケースがあったのです。こうした課題や、視覚障がいのあるユーザーへのヒアリング調査でテキスト版が欲しいという要望もあったため、2004年からはPDFに加えてテキストで書き出したデータも用意して公開しています。
また、近年は取扱説明書のビジュアル化が進み、手順をイラストで説明することも多くなりました。そのため、重要な図表には代替テキストを入れるなどスクリーンリーダーの利用を意識した工夫も施しています。
「視覚障がいのあるお客様からのお問い合わせ数が激減したことは、その利便性と有用性を物語っているのだと思います」(平井さん)

Webサイトの取扱説明書ページ

Webサイトの取扱説明書ページで楽器名から検索すると一覧が表示される。公開されている説明書は大きく下記の4つ(製品ごとに違いあり)。

Webサイトの取扱説明書ページ

(左から)①取扱説明書:楽器に付属している取扱説明書②リファレンスマニュアル:楽器のすべての機能についての詳しい取扱説明書 ③データリスト:楽器に搭載している音色、ソング、スタイルなどのリストやMIDIに関する資料 ④取扱説明書(テキスト版):テキストで書き出された取扱説明書

取扱説明書が人生を変えたケースも

取扱説明書は、「製品情報デザイングループ」のスタッフによって作成されています。その際のもとになるのが仕様書ですが、あくまでもそれは開発者向けのもの。私たちが目にする取扱説明書は、それをユーザー向けに“翻訳”した文章なのです。
「もちろん、正確であることが最重要ですが、正しい情報を提供するだけでなく、製品を通して伝えたい音楽体験や楽器のイメージを表現することにこだわっています。楽器や製品を実際に見ることが難しいお客様にも、言葉でイメージを膨らませられるような取扱説明書でなければなりません。どうすればお客様に伝わるのか。それを想像して表現することが、この仕事の一番の醍醐味です」(石川さん)
実は、石川さんが取扱説明書に強いこだわりを抱くのには、自身の転機となった体験がありました。
「高校時代、ヤマハのレコーダーを買ったのですが、取扱説明書にはその使い方だけではなくて、音楽のつくり方まで書いてあったんです。そこからレコーディングを覚え、大学時代にはそれが仕事にまでなってしまいました。ヤマハに入社したのも、音楽を通じて体験した多くの喜びを、もっとたくさんの人たちに体験してもらえるような取扱説明書をつくりたかったからです。私たちがやっている仕事は、お客様の顔は見えないかもしれませんが、私のようにそこで人生が変わる人がいる可能性もあると思うんです」
そうした熱い想いを「お客様コミュニケーションセンター」も共有しています。
「部門を超えたところで、私たちはマインドを含めて一本の同じラインにいると感じています。『お客様コミュニケーションセンター』も正しい情報を提供するだけでなく、いかにお客様に喜んでいただくかといった情緒面がとても重要です」(平井さん)

「製品情報デザイングループ」の遠藤幸夫さん(左)、石川秀明さん(中)と、「お客様コミュニケーションセンター」の平井大生さん(右)。

「製品情報デザイングループ」の遠藤幸夫さん(左)、石川秀明さん(中)と、「お客様コミュニケーションセンター」の平井大生さん(右)。

現在、「お客様コミュニケーションセンター」と 「製品情報デザイングループ」は毎月定例会を行うなど連携をさらに強化し、情報共有に努めています。取扱説明書においても、技術の進歩に合わせたさらなる発展も見据えています。
また、取扱説明書の改善過程で楽器本体の仕様変更が行われた例もあります。例えば、ある電子楽器の設定画面は、ボタンを押すたびに選択肢が進み、終点まで行くと再び最初に戻る仕様でした。しかし視覚障がいのある方はボタンを押す回数で現在の選択段階を判断しているため、押し間違えて最初に戻ってしまうと現在地がわからなくなり、目的の選択肢にたどりつくのは困難です。そこで選択肢の終点まで来たら必ず止まるようにして、現在地をわかりやすくしたのです。
視覚障がいのあるお客様が求めるサービスとは何か。両者が真摯に取り組み、常に改善を図ってきた結果、こうした使いやすい仕様やサービスが生まれました。「お客様コミュニケーションセンター」は、今後も関係部門との連携を重ね、さまざまなユーザーに寄り添うことを目指しています。

photo/ 坂本ようこ

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