Web音遊人(みゅーじん)

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase32)シュトックハウゼン「マントラ」、大阪万博の帰路は「アウトバーン」でクラフトワーク

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase32)シュトックハウゼン「マントラ」、大阪万博の帰路は「アウトバーン」でクラフトワーク

三波春夫が「世界の国からこんにちは」を歌った1970年日本万国博覧会(大阪万博)。西ドイツ館では現代音楽の旗手カールハインツ・シュトックハウゼン(1928~2007年)が電子音楽を連日演奏した。シュトックハウゼンが日本滞在中に作曲を始めたのがピアニスト2人とエレクトロニクスによる大作「マントラ」。一方、西独では同年、電子音楽ユニット、クラフトワークが結成された。1974年のアルバム「アウトバーン」は前衛作曲家の砦だった電子音楽を大衆に広めた。大阪万博からの帰路はアウトバーンを走ってテクノを聴こう。

前衛・電子音楽の1970年大阪万博

70年の大阪万博では現代音楽の最盛期を反映し、シュトックハウゼンや湯浅譲二、ヤニス・クセナキスらの前衛作品が各会場で流れた。「世界の国からこんにちは」が三波春夫の歌唱でヒットする中、多くの万博来場者は、世界の最先端を行く前衛・電子音楽を聴いていたことになる。

中でも注目されたのは西ドイツ館と鉄鋼館。球形の空間で360度どこからでも音を聴衆に伝える西ドイツ館では、シュトックハウゼンが連日、短波ラジオを使った「シュピラール」を演奏した。鉄鋼館は総合プロデューサーの前川國男が建築設計し、やはり聴衆があらゆる方向から音を感知する立体音楽堂を目指した。プロデューサーの武満徹のほか高橋悠治、クセナキスらの作品も流され、企画委員には作曲家の柴田南雄や小説家の安部公房も名を連ねた。背景には音響工学の技術革新と新楽器シンセサイザーの開発がある。


Karlheinz Stockhausen – SPIRAL with Electronium (1968)

シュトックハウゼンは日本に触発されて新作にも着手した。それが「マントラ」。仏教で「真言」を意味する曲名もさることながら、それまでとは異なる作風に方向転換している。音の高低や移動などを図表や図形で示す斬新な記譜法を改め、「マントラ」では五線紙によるオーソドックスな楽譜に回帰した。2台のピアノのための70分にも及ぶ長大な曲だが、変幻自在の曲調と音色による組曲風の構成は聴いていて飽きない。

フォルメル技法を導入した「マントラ」

ピアニストは木魚の音のようなウッドブロックと、仏壇の鈴(りん)の音に似たアンティーク・シンバルも鳴らす。打楽器を伴う2台ピアノ曲のように思えるが、これらの音はリング変調器を通じて変容されている。音響は歪められたり引き伸ばされたりし、レゲエのダブを先取りしたみたいなエコーになることもあれば、音響をループさせたような無限音階が聴こえたりもする。さらにはピアニストが能楽の囃子方に似た掛け声を発する場面もある。

グラウシューマッハー・ピアノ・デュオとSWRエクスペリメンタル・スタジオによる「シュトックハウゼン:マントラ」(2021年録音、24年7月リリース、NEOS)

グラウシューマッハー・ピアノ・デュオとSWRエクスペリメンタル・スタジオによる「シュトックハウゼン:マントラ」(2021年録音、24年7月リリース、NEOS)

とはいえ聴き手は「マントラ」を奇天烈な前衛音楽と捉えて構える必要もない。全曲を通じてエレクトロニクスの効果は控えめであり、ピアノ曲として従来型の“音楽鑑賞”にも耐える。それまでのシュトックハウゼンの作品は、リアルタイムの電子操作によるライブ・エレクトロニクスによって即興性と多義性をもたらす直感音楽だった。大阪万博で自作自演した「シュピラール」がまさにそれだ。しかし直感音楽はライブの環境次第で作品の完成度に差が出てしまう。そこで「マントラ」に導入した新手法が「フォルメル技法」だ。

フォルメルとは単一旋律のこと。無調や十二音技法から総音列主義を経て、不確定性の直感音楽にまで至ったシュトックハウゼンが今さら旋律を使うのか、と思いたくもなる。ところがフォルメルは、難解で聴き取りにくいと敬遠されがちだった現代音楽を親しみやすくする画期的な作曲手法なのである。

突如現れる単純な親しみやすさ

「マントラ」では、木魚のような打音から始まる十数秒の前奏の後、約1分間のフォルメルが提示される。13音から成る音列だが、「運命」の動機のような音型から始まり、途中に休符(沈黙)を挟み、イ短調の和声的短音階やニ短調の「歌」にも聴こえる。実際、シュトックハウゼンは車で移動中に鼻歌にしたメロディーをフォルメルに採用した。


Stockhausen: Mantra (Part I)

ただし「マントラ」はフォルメルが展開するソナタや変奏曲ではない。フォルメルは各パートに生き物の骨格のように存在し続け、体全体や一部を拡張・縮小させたり、歪曲させたり、直感音楽としての多義性も持つ。それでも聴きやすいのは、突如、単純で親しみやすい音型が印象深く頻繁に現れるからだ。例えば、20分過ぎあたりの「Bars212-237(Leaps)」。F音からD♭音への短6度の跳躍(leap)を何回も繰り返す。F音からC音へのミスタッチのような跳躍が1回入るのは笑える。子供じみた鍵盤遊びが巨大な生体に組み込まれていた。

推薦盤は3枚。クセーニャ・ペストヴァとパスカル・メイエのピアノ、ヤン・パニスのエレクトロニクスによるナクソス盤(2009年録音)は、挑発的なピアノデュオと打楽器音、電子操作による歪み、能楽風の掛け声の大きさが印象的だ。グラウシューマッハー・ピアノ・デュオとSWRエクスペリメンタル・スタジオによる録音(24年7月リリース、NEOS)は、フォルメルに組み込まれた多様性と緻密な音の重なりを明晰に描き、安定感がある。イヴァ・エミリアン・ミカショフとロサリン・ベヴァンのピアノ、オーレ・オーステッドのエレクトロニクスによる1986年録音(2011年リリース、Doxy)もメリハリがあって分かりやすい。

テクノビートに目覚めたドイツ

ところで大阪万博が開かれていた頃、西独の電子音楽は「アウトバーン」へと向かう。クラフトワーク(Kraftwerk)の登場だ。1970年冬、ルール工業地帯から東へ40キロメートルほどのゾーストでのクラフトワークのライブを見ると、ドイツの若者たちが黎明期のテクノビートに目覚める様子が分かる。ナチスの戦争・人権犯罪という現代史に向き合う戦後生まれの生真面目な学生たちは、前代未聞のテクノのポップなノリを、ぎこちなくも楽しみ始めた。


First Techno (Kraftwerk 1970)

クラフトワークは74年、アルバム「アウトバーン」を発表。アナログシンセサイザーのミニモーグやヴォコーダーなど当時の先端技術を駆使しているが、曲は難しくない。1曲目「アウトバーン」はF→B♭→C→Fのシンプルな循環コードを中心に、高速道路にしてはのんびりしたテンポで快適に曲が進む。ユーロビートやハウスミュージックを経た今では遅く感じられるのも仕方ないが、先駆けには違いない。ヒトラーの公共事業の象徴だったアウトバーンをポップなドライブコースに刷新したのだ。クラフトワーク「アウトバーン」(1974年、ワーナー)

クラフトワーク「アウトバーン」(1974年、ワーナー)

77年発表のアルバム「ヨーロッパ特急(Trans Europa Express)」は、哀愁を帯びて洗練された欧州の美学に貫かれており、最高傑作とみる向きも強い。神秘的な四度堆積和音から始まるタイトル曲は秀逸だ。ヒット曲「モデル」を含む78年のアルバム「人間解体」では、即物主義のロボット色を強めるとともに東洋趣味も感じさせる。これらのアルバムがYMOのテクノポップやニュー・オーダーのシンセポップなどに与えた影響は大きい。

カントの呪縛を脱した先の主役

ドイツの哲学者カントは三批判書の一つ「判断力批判」の中で、音楽について、魅力と感動をもたらす芸術だが、理性で判定すれば、他のあらゆる芸術よりも価値が低いと断じた。カントは「純粋理性批判」では、理性に基づく理論的な学はアプリオリな総合判断を原理とし、その最たる学は数学だと主張した。ならば芸術性が高い音楽は数学的理論性を持たなければならない。


Kraftwerk – Trans Europa Express – Official Music Video

だがカントは、快適さで評価すれば音楽が最高の地位を占めるとも書いている。数学や工学を駆使して高尚な芸術性を誇るだけでなく、さらにはロボットになりきるのでもなく、ノリのいいダンスを人間らしく楽しんでもいい。レディー・ガガやデュア・リパのダンスポップも価値の高い電子音楽ではないか。ポスト構造主義やポストモダン、シュトックハウゼンやクラフトワークを経た今、カントの呪縛から脱し、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)でJ-POPが音楽の主役を務めるとしても不思議はない。

「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

特集

向谷実

今月の音遊人

今月の音遊人:向谷実さん「音で遊ぶ人!?それ、まさしく僕でしょ!」

16849views

ジャン=エフラム・バヴゼ

音楽ライターの眼

理知的ピアニストの職人芸、エスプリでつなぐドビュッシー、ショパン、ブーレーズ/ジャン=エフラム・バヴゼ ピアノ・リサイタル

1636views

楽器探訪 Anothertake

ナチュラルな響きと多彩な機能で電子ドラムの可能性を広げる、新たなフラッグシップモデルDTX10/DTX8シリーズ

4894views

楽器のあれこれQ&A

モチベーションがアップ!ピアノを楽しく効率的に練習するコツ

42028views

おとなの楽器練習記:岩崎洵奈

おとなの楽器練習記

【動画公開中】将来を嘱望される実力派ピアニスト、岩崎洵奈がアルトサクソフォンに初挑戦!

11977views

小林洋平

オトノ仕事人

感情や事象を音楽で描写し、映画の世界へと観る人を引き込む/フィルムコンポーザーの仕事

2703views

サラマンカホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

まるでヨーロッパの教会にいるような雰囲気に包まれるクラシック音楽専用ホール/サラマンカホール

22123views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

10253views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

世界中の珍しい楽器が一堂に集まった「浜松市楽器博物館」

32167views

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

われら音遊人

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

7457views

山口正介 Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

マウスピースの抵抗?音切れ?まだまだ知りたいことが出てくる、そこが面白い

6068views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10547views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:和洋折衷のユニット竜馬四重奏がアルトヴェノーヴァのレッスンを初体験!

5503views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8748views

音楽ライターの眼

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#048 モダン・ジャズの象徴的なスタイルを継承するための確信犯的序章~キース・ジャレット・トリオ『スタンダーズVol.1/Vol.2』編

897views

オトノ仕事人

オーダーメイドで楽譜を作り、作・編曲家から奏者に楽譜を届ける/プロミュージシャン用の楽譜を制作する仕事

18623views

われら音遊人 リコーダー・アンサンブル

われら音遊人

われら音遊人:お茶を楽しむ主婦仲間が 音楽を愛するリコーダー仲間に

8321views

ギター文化館

楽器探訪 Anothertake

歴史的ギターの音を生で聴けるコンサートも開催!

7546views

サントリーホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

クラシック音楽の殿堂として憧れのホールであり続ける/サントリーホール 大ホール

23289views

パイドパイパー・ダイアリー Vol.3

パイドパイパー・ダイアリー

人生の最大の謎について、わたしも教室で考えた

5457views

楽器のあれこれQ&A

きっとためになる!サクソフォンの基礎力と表現力をアップする練習のコツ

19956views

Kitaraあ・ら・かると

こどもと楽しむMusicナビ

子どもも大人も楽しめるコンサート&イベントが盛りだくさん。ピクニック気分で出かけよう!/Kitaraあ・ら・かると

6378views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31368views