今月の音遊人
今月の音遊人:諏訪内晶子さん「音楽の素晴らしさは、人生が熟した時にそれを音で奏でられることです」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase32)シュトックハウゼン「マントラ」、大阪万博の帰路は「アウトバーン」でクラフトワーク
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2024.9.27
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, シュトックハウゼン, クラフトワーク
三波春夫が「世界の国からこんにちは」を歌った1970年日本万国博覧会(大阪万博)。西ドイツ館では現代音楽の旗手カールハインツ・シュトックハウゼン(1928~2007年)が電子音楽を連日演奏した。シュトックハウゼンが日本滞在中に作曲を始めたのがピアニスト2人とエレクトロニクスによる大作「マントラ」。一方、西独では同年、電子音楽ユニット、クラフトワークが結成された。1974年のアルバム「アウトバーン」は前衛作曲家の砦だった電子音楽を大衆に広めた。大阪万博からの帰路はアウトバーンを走ってテクノを聴こう。
70年の大阪万博では現代音楽の最盛期を反映し、シュトックハウゼンや湯浅譲二、ヤニス・クセナキスらの前衛作品が各会場で流れた。「世界の国からこんにちは」が三波春夫の歌唱でヒットする中、多くの万博来場者は、世界の最先端を行く前衛・電子音楽を聴いていたことになる。
中でも注目されたのは西ドイツ館と鉄鋼館。球形の空間で360度どこからでも音を聴衆に伝える西ドイツ館では、シュトックハウゼンが連日、短波ラジオを使った「シュピラール」を演奏した。鉄鋼館は総合プロデューサーの前川國男が建築設計し、やはり聴衆があらゆる方向から音を感知する立体音楽堂を目指した。プロデューサーの武満徹のほか高橋悠治、クセナキスらの作品も流され、企画委員には作曲家の柴田南雄や小説家の安部公房も名を連ねた。背景には音響工学の技術革新と新楽器シンセサイザーの開発がある。
シュトックハウゼンは日本に触発されて新作にも着手した。それが「マントラ」。仏教で「真言」を意味する曲名もさることながら、それまでとは異なる作風に方向転換している。音の高低や移動などを図表や図形で示す斬新な記譜法を改め、「マントラ」では五線紙によるオーソドックスな楽譜に回帰した。2台のピアノのための70分にも及ぶ長大な曲だが、変幻自在の曲調と音色による組曲風の構成は聴いていて飽きない。
ピアニストは木魚の音のようなウッドブロックと、仏壇の鈴(りん)の音に似たアンティーク・シンバルも鳴らす。打楽器を伴う2台ピアノ曲のように思えるが、これらの音はリング変調器を通じて変容されている。音響は歪められたり引き伸ばされたりし、レゲエのダブを先取りしたみたいなエコーになることもあれば、音響をループさせたような無限音階が聴こえたりもする。さらにはピアニストが能楽の囃子方に似た掛け声を発する場面もある。
とはいえ聴き手は「マントラ」を奇天烈な前衛音楽と捉えて構える必要もない。全曲を通じてエレクトロニクスの効果は控えめであり、ピアノ曲として従来型の“音楽鑑賞”にも耐える。それまでのシュトックハウゼンの作品は、リアルタイムの電子操作によるライブ・エレクトロニクスによって即興性と多義性をもたらす直感音楽だった。大阪万博で自作自演した「シュピラール」がまさにそれだ。しかし直感音楽はライブの環境次第で作品の完成度に差が出てしまう。そこで「マントラ」に導入した新手法が「フォルメル技法」だ。
フォルメルとは単一旋律のこと。無調や十二音技法から総音列主義を経て、不確定性の直感音楽にまで至ったシュトックハウゼンが今さら旋律を使うのか、と思いたくもなる。ところがフォルメルは、難解で聴き取りにくいと敬遠されがちだった現代音楽を親しみやすくする画期的な作曲手法なのである。
「マントラ」では、木魚のような打音から始まる十数秒の前奏の後、約1分間のフォルメルが提示される。13音から成る音列だが、「運命」の動機のような音型から始まり、途中に休符(沈黙)を挟み、イ短調の和声的短音階やニ短調の「歌」にも聴こえる。実際、シュトックハウゼンは車で移動中に鼻歌にしたメロディーをフォルメルに採用した。
ただし「マントラ」はフォルメルが展開するソナタや変奏曲ではない。フォルメルは各パートに生き物の骨格のように存在し続け、体全体や一部を拡張・縮小させたり、歪曲させたり、直感音楽としての多義性も持つ。それでも聴きやすいのは、突如、単純で親しみやすい音型が印象深く頻繁に現れるからだ。例えば、20分過ぎあたりの「Bars212-237(Leaps)」。F音からD♭音への短6度の跳躍(leap)を何回も繰り返す。F音からC音へのミスタッチのような跳躍が1回入るのは笑える。子供じみた鍵盤遊びが巨大な生体に組み込まれていた。
推薦盤は3枚。クセーニャ・ペストヴァとパスカル・メイエのピアノ、ヤン・パニスのエレクトロニクスによるナクソス盤(2009年録音)は、挑発的なピアノデュオと打楽器音、電子操作による歪み、能楽風の掛け声の大きさが印象的だ。グラウシューマッハー・ピアノ・デュオとSWRエクスペリメンタル・スタジオによる録音(24年7月リリース、NEOS)は、フォルメルに組み込まれた多様性と緻密な音の重なりを明晰に描き、安定感がある。イヴァ・エミリアン・ミカショフとロサリン・ベヴァンのピアノ、オーレ・オーステッドのエレクトロニクスによる1986年録音(2011年リリース、Doxy)もメリハリがあって分かりやすい。
ところで大阪万博が開かれていた頃、西独の電子音楽は「アウトバーン」へと向かう。クラフトワーク(Kraftwerk)の登場だ。1970年冬、ルール工業地帯から東へ40キロメートルほどのゾーストでのクラフトワークのライブを見ると、ドイツの若者たちが黎明期のテクノビートに目覚める様子が分かる。ナチスの戦争・人権犯罪という現代史に向き合う戦後生まれの生真面目な学生たちは、前代未聞のテクノのポップなノリを、ぎこちなくも楽しみ始めた。
クラフトワークは74年、アルバム「アウトバーン」を発表。アナログシンセサイザーのミニモーグやヴォコーダーなど当時の先端技術を駆使しているが、曲は難しくない。1曲目「アウトバーン」はF→B♭→C→Fのシンプルな循環コードを中心に、高速道路にしてはのんびりしたテンポで快適に曲が進む。ユーロビートやハウスミュージックを経た今では遅く感じられるのも仕方ないが、先駆けには違いない。ヒトラーの公共事業の象徴だったアウトバーンをポップなドライブコースに刷新したのだ。
77年発表のアルバム「ヨーロッパ特急(Trans Europa Express)」は、哀愁を帯びて洗練された欧州の美学に貫かれており、最高傑作とみる向きも強い。神秘的な四度堆積和音から始まるタイトル曲は秀逸だ。ヒット曲「モデル」を含む78年のアルバム「人間解体」では、即物主義のロボット色を強めるとともに東洋趣味も感じさせる。これらのアルバムがYMOのテクノポップやニュー・オーダーのシンセポップなどに与えた影響は大きい。
ドイツの哲学者カントは三批判書の一つ「判断力批判」の中で、音楽について、魅力と感動をもたらす芸術だが、理性で判定すれば、他のあらゆる芸術よりも価値が低いと断じた。カントは「純粋理性批判」では、理性に基づく理論的な学はアプリオリな総合判断を原理とし、その最たる学は数学だと主張した。ならば芸術性が高い音楽は数学的理論性を持たなければならない。
だがカントは、快適さで評価すれば音楽が最高の地位を占めるとも書いている。数学や工学を駆使して高尚な芸術性を誇るだけでなく、さらにはロボットになりきるのでもなく、ノリのいいダンスを人間らしく楽しんでもいい。レディー・ガガやデュア・リパのダンスポップも価値の高い電子音楽ではないか。ポスト構造主義やポストモダン、シュトックハウゼンやクラフトワークを経た今、カントの呪縛から脱し、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)でJ-POPが音楽の主役を務めるとしても不思議はない。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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