今月の音遊人
今月の音遊人:亀田誠治さん「音楽は『人と人をつなぐ魔法』。いまこそ、その力が発揮されるべきだと思います」
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音楽はホールから街全体へ。地域をジャズ一色に染めるイベントを企画運営/地域音楽イベントのプロデューサーの仕事
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2024.9.25
tagged: オトノ仕事人, 音楽イベントプロデューサー
今や、全国各地で開催されている音楽フェスティバル。地域を盛り上げるこれらのイベントは、どのようにしてつくられているのだろうか。
1992年に産声を上げ、2024年時点で32年の歴史をもつ「ハママツ・ジャズ・ウィーク」を、浜松市などとともに主催するヤマハの佐藤伸行さんに聞いた。
音楽が街をつくり、同時に街が音楽をつくることを目指してスタートした「ハママツ・ジャズ・ウィーク」。毎年10月に開催され、開催期間中は、浜松の街がジャズ一色に染まる。
そもそもなぜジャズだったのか。プロデューサーを務める佐藤さんはこう話す。
「ジャズの特徴のひとつは、即興性です。ミュージシャンと聴き手がその場でつくり上げていく奥深い音楽であり、フェスティバルにふさわしいジャンルではないでしょうか」
0歳児からファミリーで楽しめるコンサートやワークショップ、そして小学生、中・高校生向けのイベント、ストリートやジャズクラブなどでの演奏や評論家によるトークセッション、さらに国内外の著名ミュージシャンが出演する本格的なステージまでイベント内容は実に多彩だ。
「子どもから高齢者の方まで、ジャズ初心者からコアなファンまで。それぞれに向けた特色のあるプログラムを組んでいくと、やはり1週間程度は必要ですね」
「ウィーク」と銘打ち、1週間以上の長い期間にわたって多種多様なイベントが繰り広げられるジャズの祭典は、全国的にも類を見ないだろう。
こうした魅力に富んだ多様なプログラムを企画し、イベントを統括するのがプロデューサーの役割だ。佐藤さんは、2015年からその大役を務めてきた。
プロジェクトが始まるのは1月。企画を練り上げ、3月にかけて出演アーティストと交渉してブッキングする。大物アーティストの場合、2~3年前から予約し、ようやく出演が叶うこともあるという。そのための情報収集は、日ごろから欠かさない。
「ひとりで行う作業なので、自分の選択が本当に正しいのか迷うこともありますが、理想を組み立てて交渉を進めます。もっとも大切にしているのは、アーティストとの信頼関係ですね。まずは、オファーする際にイベントの主旨やなぜお声かけしたのかという私の思いをしっかり伝えることから始まります。ステージ構成については、選曲やアレンジ、セットリスト、バンドメンバーなどご提案をして、アーティストと一緒にアイデアを練りながら、本番に向けて信頼関係を築いていきます」
4月には事務局を立ち上げ、スタッフとともに運営体制を整える。5月は主催団体のキックオフ。「ハママツ・ジャズ・ウィーク」はヤマハのほか浜松市や地元新聞社、放送局など官民5団体が主催しており、今年の方向性について協議、確認する。6月になると、プレスリリースの発行など情報公開がスタートする。
「われわれのイベントは、約150社の協賛によって支えられています。そのおかげでこの規模のイベントができるわけですので、7月の1か月は私も各社に足を運び、協賛のお願いをして回ります」
その後もパンフレット制作やメディア対応、チケットを販売するプレイガイドとのやり取りなどが続き、直前の9月には移動や食事も含めたアーティストの当日のスケジュールを詰めていく。
しかし、どんなに緻密に計画を練って準備を整えたとしても、ハプニングに見舞われることもある。大御所ジャズピアニスト、ケニー・バロンをニューヨークから招いた2019年のこと。自称「雨男」の佐藤さんは、かなり前から何度も天気をチェックし、浜松の最終的な予報に安堵していた。ところが、関東で暴風が発生し、イベント前日に成田に降り立つはずの飛行機は新千歳空港へ。
「翌朝の便はすでに満席。幸い夜中の臨時便で発つことができ、未明に都内のホテルへ。翌朝、浜松まで移動していただいて何とか間に合ったのですが、本当に生きた心地がしませんでした」
ジャズといえばニューヨークなどのアーティストを招へいすることが多いなか、北欧を代表するビッグバンド「ボーヒュスレーン・ビッグバンド」を初めてスウェーデンから招くことになった。
「スウェーデンの方々は調和を大切にするなど日本人とも共通する心があり、それが演奏にも出てくるんです。彼らと接しているうちにそうしたものが伝わってきて通じ合い、終了後に別れるときには、お互いに心に熱くこみ上げてくるものがありました」
音楽でつながる。それは、自らが音楽をやっていることが役立っていることを実感する瞬間でもある。
実は佐藤さんはプロデューサーであるだけでなく、イベント出演者としての顔も持つ。母親がピアノ教師であり、幼いころからクラシックピアノに取り組んできた。ヤマハ入社後は、技術者としてソフトウェア開発に注力。一方で赴任になった浜松で、「ハママツ・ジャズ・ウィーク」をとおしてジャズの楽しさや奥深さに魅せられた。以来、ジャズを突き詰め、「ハママツ・ジャズ・ウィーク」にピアニストとして参加するように。ジャズを通じて地域のネットワークも構築していった。プロデューサーとして白羽の矢が立った後も、毎年公演に出演している。
「自分も参加することで盛り上げに少しでも貢献したいという気持ち、それから現場を見ておきたいという思いがあります。スタッフではなく、プレイヤーとして現場に入ることで、見えてくるものもありますから」
今や浜松市民だけでなく県内外から約2万人が足を運ぶ「ハママツ・ジャズ・ウィーク」。市内ジャズクラブで演奏が繰り広げられる「街のジャズクラブ」の参加店舗は、佐藤さん就任当初の7店舗から約30店舗へと拡大した。「ストリート ジャズ フェスティバル」にも、今や約100組のバンドがエントリーする。
「浜松は、街の規模に対して音楽人口が多いんです。人口80万人に対して、ビッグバンドが約30組もある地域は、おそらくほかにないと思います。こういった音楽の街でヤマハが事業を展開させていただいていますので、それを地域の皆さんに還元していくことがこのイベントの大きな目標です」
とりわけ胸を張るのが、初年から開催され、現在では最終日を飾るプログラムとなった「ヤマハジャズフェスティバル」だ。
「“ここにしかない、めぐり合い”をテーマに掲げた、我々ならではの企画だと自信を持っています。将来性ある若手アーティスト、華やかなステージパフォーマンスが魅力の女性ボーカル、大人数で迫力あるサウンドのビッグバンドと毎回3組のそれぞれに特徴あるアーティストが登場します。まさに“ここにしかないもの”を体現していると思います」
来場者の笑顔や楽しんでいる姿は、大きなやりがいになる。
「将来的には、全国に数多くあるジャズ・フェスとつながってサミットを結成し、それぞれの特色を生かした交流イベントを開催できたらいいですね」
佐藤さんは今、新たな夢を描いている。
Q.子どものころになりたかった職業は?
A.教師です。教師だった父の姿を間近で見ていて、大変だなと思う反面、子どもたちとの触れ合いが伝わってきて憧れました。また、人にものを教えるのが好きな性分なんです。僕は数学が好きでしたが、学生時代には念願叶って、小学校のときに通っていた塾で数学の講師をすることができました。
Q.音楽以外の趣味は?
A.小学校3~4年生ころから将棋をやっていました。高校時代は出身の北海道で優勝して全国大会に出場するほどに打ち込んでいましたね。浜松に来てからも、日本将棋連盟浜松支部で、アマチュア五段でやらせていただいていました。今は観る専門です。
Q.休日の過ごし方は?
A.週末は、カフェなどでピアノを演奏することが多いです。そうした場を通じた演奏者同士のコミュニケーションや人間関係が今の仕事につながっている面もあります。
Q.心がけていることは?
A.なかなか実践はできていないのですが、オンとオフの切り替えを意識したいと思っています。そうすることでオンのときのパフォーマンスも上がるでしょうし、オフのときのリラックス感もより増すのではないでしょうか。
Q.将来の夢は?
A.道産子らしさと自分の音楽経験を活かし、いつか地元の北海道でジンギスカンとジャズの店をやれたら面白いかな。いずれは実家に帰って、のんびり過ごすのもいいですね。
文/ 福田素子
photo/ 坂本ようこ
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