今月の音遊人
今月の音遊人:NOKKOさん「私の歌詞の原点は、ユーミンさんと別冊マーガレット」
18684views
【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase40)ピアソラ「オブリビオン」好きは藤沢嵐子のタンゴを忘却せず、中森明菜を愛聴
この記事は4分で読めます
73views
2025.1.23
タンゴといえば、中森明菜が歌う「タンゴ・ノアール」。「そっちか」と言われそうなので元に戻すと、今やタンゴはアストル・ピアソラ(1921~92年)が全盛。映画音楽「オブリビオン(忘却)」も頻繁に演奏される。だが破壊者と呼ばれたピアソラに限らず、アルゼンチン・タンゴを楽しめないか。昭和戦後期、流暢なスペイン語で歌い、アルゼンチン本国でも絶賛された藤沢嵐子(1925~2013年)を忘れてはいけない。
1990年代後半、ピアソラ・ブームが到来した。先導したのはクラシックの演奏家。真っ先に挙がる名盤は97年の「ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ」だ。米国のチェロ奏者ヨーヨー・マがピアソラゆかりのタンゴの演奏家らと組み、ブエノスアイレスで録音した。日本では彼のチェロ演奏による「リベルタンゴ」がテレビCMに使用され、ピアソラの音楽が広く知れ渡った。このアルバムやCMからピアソラに入門した人も多いはずだ。
なぜクラシックの演奏家がピアソラを評価し、ブームをリードしたか。一つには、タンゴがクラシックのように編曲を含めしっかり楽譜に書く音楽であることだ。さらにはクラシックでおなじみの欧州系の楽器がいっぱい使われること。標準編成はバンドネオンとバイオリン、ピアノ、コントラバスもしくはチェロ。あとはギターが加わるかどうか。古くはフルートも使用した。バンドネオンはクラシックではなじみがないが、発祥と生産地はドイツだ。
アルゼンチンは中南米諸国の中でも欧州系の人々の人口構成比が高い。イタリア系が最も多く、スペイン、ドイツ系などが続く。ブエノスアイレスにはユダヤ教徒も多く暮らすという。逆にいえば、アフリカ系の人々が非常に少ないわけで、ジャズや他のラテン音楽とは異なり、アフリカ由来の打楽器がタンゴに取り入れられなかったのも頷ける。
タンゴは1880年頃、ブエノスアイレスの港町で誕生したといわれる。酒場と売春宿を兼ねたいかがわしい場所で、男女を取り持つダンスの伴奏音楽として始まったという。タンゴには気品や貴族趣味も感じられる。港に流れ着いた欧州からの移民は、捨てたはずの貧しい故郷だったとしても、それぞれの祖国の西洋音楽に誇りと郷愁を持っていたはずだ。タンゴのリズムの源流といえるスペインのハバネラはその一つだろう。
一方で欧州からの移民が新天地で出合った異文化も当然ながらタンゴのルーツとなる。例えば、ミロンガはアルゼンチンとウルグアイのアフリカ系ダンス音楽に起源を持ち、タンゴに取り入れられた。4分の2拍子のミロンガにはアップテンポの陽気な曲が多い。ミロンガのリズムを極端に遅くし、ロマンチシズムで彩った常識破りのタンゴがピアソラの「オブリビオン」である。
「オブリビオン」はマーラーの「交響曲第5番」第4楽章アダージェットのように静かで緩やかな音楽だ。常套的なコード進行と美しい旋律にもかかわらず、破壊者ピアソラによる革命的なタンゴなのだろう。ピアソラは革新的であっても無調や十二音技法の現代音楽に走ったわけではない。タンゴは19世紀ロマン派音楽を継承している。南米のパリ、ブエノスアイレスの街並みと同様、美旋律を引き立てる編曲という19世紀のホモフォニー(和声音楽)が生きている。それがポップスとの親和性を高める。
ところで破壊的で革新的なピアソラ以外のアルゼンチン・タンゴも聴きたくなる。そこで挙げたいのが藤沢嵐子。日本が誇る世界的なタンゴ歌手だ。日本のタンゴだからといって侮れない。藤沢はネーティブも驚くほどのスペイン語の歌唱法を日本で身に付けた。1953年にはタンゴ楽団「オルケスタ・ティピカ東京」の早川真平らとアルゼンチンに渡り、「エビータ」の愛称で知られるフアン・ペロン大統領夫人エバの一周忌コンサートに出演。同国のラジオ番組にも出演し、絶賛され一大旋風を巻き起こした。
藤沢は1950~60年代の日本のタンゴブームをリードし、中南米諸国での公演も重ねた。東京音楽学校(現東京芸術大学)を中退した本格的な声楽家だったが、ピアソラ全盛の今、彼女のレコード遺産は聴かれているだろうか。「ジーラ・ジーラ」「カミニート」などを藤沢のスペイン語歌唱で聴けば、忘却の彼方から本物のアルゼンチン・タンゴが蘇ってくる。温故知新から次代のタンゴへの創造的破壊も始まるのではないか。
最後に再び、中森明菜の「タンゴ・ノアール(TANGO NOIR)」(冬杜花代子作詞・都志見隆作曲・中村哲編曲、1987年)。タンゴとディスコが見事に融合し、イナバウアー風の振り付け、低音域とビブラートの歌唱も斬新だった。タンゴは狭く高尚な専門性から脱し、敷居を下げることでも可能性が広がりそうだ。これほど親しみのある音楽はもっと自由に解釈し、他分野と共創してもいい。新たな「タンゴ・ノアール」を期待したい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。
tagged: ピアソラ, タンゴ, クラシック名曲 ポップにシン・発見, 藤沢嵐子, 中森明菜, 音楽ライターの眼
ヤマハ音遊人(みゅーじん)Facebook
Web音遊人の更新情報などをお知らせします。ぜひ「いいね!」をお願いします!