今月の音遊人
今月の音遊人:村松崇継さん「音・音楽は親友、そしてピアノは人生をともに歩む相棒なのかもしれません」
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間違いがないというのもドラムサークルの大きな特徴だ。
「本来、人間には一人ひとり持って生まれた自然のリズムというものがあり、また、みんなでひとつのことをシンクロさせると楽しいというのが本能としてあるんです。自分のリズムで好き好きにやっていくうちにまわりと同調していけるのは、打楽器だからこそ。自由に誰でも簡単に叩けるところにドラムサークルのメリットがあります」
現在、ドラムサークルは学校や病院、高齢者施設、さらに企業研修の場などでも行われている。誰でも自由にやっていいという安心感は、多様性の受容にもつながり、言葉や社会性、年齢を超えて全員で一体感を得られる点が支持されるのだろう。そんなドラムサークルを全国に広め、唯一無二のアンサンブルを作ってほしいという思いから、ペッカーさんはファシリテーターの養成活動にも積極的だ。
「ドラムサークルでは、まわりの人をよく見て、音を合わせる。そのような体験を積み重ねているうちに、人を思いやることが自然とできるようになり、ひいては世の中がよくなっていくと僕は思っています」
より多くの人に心地よい時間を共有してもらい、よりよい社会を作りたい。そんな思いを込めて、ペッカーさんはドラムサークルの輪を広げ続けている。
Q.どんな子ども時代を過ごされましたか?
A.実家は幼稚園を経営していたんです。でっかいホールがあって、子どもたちが朝来ると、大きな積み木を放り投げて遊ぶんです。ガーンというエコーが好きで、みんなが帰ったあと、兄と二人で遊んでいた。積み木を放るといい音がするんです。今でいうカホン(箱のような作りの楽器)のような音ですね。学校に行くときも兄とスティックで道路を叩きながら歩いていました。クレイジーキャッツのハナ肇の影響ですよ。叩くのが楽しいし、叩いているのを聴くのも楽しかったんです。
Q.子どもの頃、なりたかった職業は?
A.銀行マンです。実家が幼稚園ということから堅い仕事がいいんじゃないかなと思っていました。大学生のときに就職活動で銀行にも行ったんですけど、試験に2時間遅れていって、「君はいらない」と。そのまま学校に残って、大学のバンドをいろいろ掛け持つうちに、プロのミュージシャンになった先輩から誘われてミュージシャンになりました。
Q.音楽に目覚めたきっかけは?
A.『9500万人のポピュラーリクエスト』というラジオ番組を兄がよく聴いていたんです。夜中の1時からなので僕は聴いていなかったのですが、小学5年生のあるとき、兄が「ものすごくいい曲があるから今日は起きていろ」と。眠い目をこすりながら聴いたのが、ウーゴ・ブランコ楽団の『コーヒールンバ』。アルパ(ハープの一種)のバンドで、そのリズムに「何これ!」と背筋がゾクッとして、次の日、レコードを買いに走りました。そこからラテン音楽が好きになっていったんです。
Q.休日の過ごし方は?
A.今、ほとんど休みがないんです。自分のバンドを7つ持っていて、プロデュースやレコーディング、リハーサルと忙しい。ドラムサークルファシリテーター協会理事長としての仕事もありますしね。一人だけで過ごした記憶がないくらいです。でも、回遊魚と同じでずっと何かしていないとダメみたい。常にリズムを打ったり、叩いたりしているんです。頭の中に音楽やメロディがずっと回っているんですよね。
Q.好きなミュージシャンは?
A.キューバのロス・ムニェキートス・デ・マタンサスというバンドです。2016年9月に初来日したときの手伝いをしました。キューバの街から出たことがない人たちだったので、日本に来たこと自体が奇跡。お客さんがいっぱい来てくれたのがうれしかったですね。
Q.打楽器以外で何か習うとしたら?
A.ボーカルですね。バンドで歌うこともあるのですが、発声をきちんと習っていないので、基礎からやりたいです。今は自分の感性だけで歌ってますから。
文/ 佐藤雅子
photo/ 坂本ようこ
tagged: オトノ仕事人, ドラムサークルファシリテーター, ドラムサークル
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