今月の音遊人
今月の音遊人:May J.さん「言葉で伝わらないことも『音』だったら素直に伝えられる」
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命日に開催されたグレン・グールド・トリビュート・イベント
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2022.11.10
tagged: グレン・グールド、Dear Glenn、AI、宮本笑里、熊本マリ
カナダが生んだ偉大なピアニスト、グレン・グールドの生誕90年と没後40年を記念したイベントが2022年10月4日、東京・赤坂のカナダ大使館で開催された。この日はグールドの命日にあたり、日本のグールドファンたちに向けてカナダ「グレン・グールド財団」のブライアン・レヴィン氏からビデオメッセージが寄せられたあと、著名なアーティストや研究者たちが登場し、グールドに敬意を込めた演奏やメッセージを披露した。
最初に登場したバイオリニストの宮本笑里さんは、グールドが弾いたピアノ音源に合わせて『アヴェ・マリア』を演奏。これはグールドを敬愛する作曲家、坂本龍一さんがプロデュースしたコラボレーションで、2022年9月に発売された『グレン・グールド 坂本龍一セレクション [完全盤]』にも収録されている。流麗な音色を響かせた宮本さんは、「グールドのピアノの音は独特で、圧倒的な存在感を音色から感じることができる。演奏中に鼻歌を歌ったり、歌心が音色からも感じられたりするグールドに刺激を受け、私もバイオリンを“歌っている”ように伝えられるかを意識して演奏しています」と語った。
続いて、カナダのトロントでグールドに会ったことがあるというピアニストの熊本マリさんが登場。1980年冬、16歳だった熊本さんはトロントに短期滞在した際、グールドのレッスンを受けたいと思い立ち、楽譜店でグールドの住所を調べてもらい、手紙を送ったり実際に住居に赴いたりする行動力をみせ、ついに10階建ての高級アパートメントでグールドに遭遇することができたという。
熊本さんが「手紙を書いた者です」と話すと、「ああ手紙、受け取りましたよ。ごめんなさい。今は話せないから、君の電話番号をもらえますか。今夜電話します」と言って、立ち去ってしまったグールド。「ハンチング帽とサングラスを付けて、ナーバスで目がきょろきょろしていた」と熊本さんはその時の印象を振り返る。わずかな時間の交流だったが、それでもアパートの管理人からは「すごいわねえ」と驚かれたという。
その夜、電話をかけてきたのは残念ながら個人秘書だったが、グールドから預かった大切なメッセージを読み上げてくれた。<僕は人の才能を批判することはできない。人の才能は他人が言うものではない。才能は自分で信じて、自分で作るものです。頑張ってください>。それはシンプルなメッセージだったが、熊本さんがその後、プロの演奏家になっていかに大切なことか分かったという。「すべては周りではなく、自分の心が決めるもの。私にとって彼は人生の恩師」と熊本さんは語り、グールドに感謝の気持ちを込めて、バッハ『ゴールドベルグ変奏曲』やグールドが死の1か月前に録音したというシュトラウスのソナタを演奏した。
2020年、熊本さんがグールドに送った手紙は、彼の書斎の机の引き出しに残されていたのが発見された。現在は熊本さんの手元で、本人いわく「すばらしい記憶」として保管されている。
その発見者は、グールド研究者として知られる青山学院大学の宮澤淳一教授。この日、最後のパートはその宮澤教授と、ヤマハのAIプロジェクト“Dear Glenn”の開発者、前澤陽さんの対談だった。
「グレン・グールドの革新性とその可能性」というテーマで始まった対談で、まず前澤さんが“Dear Glenn”について、「AIと人間の共創の可能性を追求するために、彼が弾いたことのない新たな曲でもグレン・グールド風にピアノを演奏できるAIシステムを開発しました」と概要を説明した。AI技術によって、グールドが弾かなかった過去の曲でも、現在の曲でも、未来の作曲家によって作られる曲であっても演奏が生成されるのだが、前澤さんが強調したのは、「グールドの多彩な音楽の解釈を、さまざまな世代の人に伝えていきたい」という信念だった。
一方、宮澤教授は、「グレン・グールドらしさとは?」という問いに対し、「実を言うと、私はうまく説明できません」と切り出し、「表面的には、非常に早過ぎたり、遅すぎたりするテンポ、独特なアーティキュレーションとか、鼻歌とか指摘できますけれど、それは本質ではなくて、その奥に潜む内発的なエネルギーのようなものがあると思います」と、その真意を解説した。グールドの演奏の魅力について解き明かした人は世界に誰もいない、と宮澤教授は断言。「その手がかりをつかむために、研究者たちは感動を互いに述べたり、演奏スタイルを分析したり、背景を調べたりして、演奏の秘密に迫ろうとしているという。そして、そこに新しいテクノロジーを用いた“Dear Glenn”という試みが登場して、違った角度からグールドの秘密に迫ることができるのではないかと期待しています」と、AIが切り開く未来への希望を語った。
また、グールドの革新性については次のように話した。「実は、グールドはクラシックの音楽家ではないと私は思っています。クラシックの世界では『王様は作曲家』で『演奏家は家来』のはず。でも、グールドは王様のように振る舞って、まるで作曲家が家来のよう。演奏家が主導権を握るのはポピュラー音楽やジャズといった世界のアーティストの発想。それが、クラシック音楽の中でも彼が特に例外的にも人気がある秘密だと思っています」
さらには、グールドがテクノロジーを信じていたことに言及。「彼のいちばんのメッセージは、レコーディングはコンサートの代用品ではないということ。レコーディングには独自の世界があって、独自の価値があって、それは演奏会と比べるものではないということ。それは、テクノロジーに対する信頼の証しです。その延長線上にもしかしたら“Dear Glenn”はあるかもしれないと思っています」とも語った。
この発言を受け、前澤さんも「AIによる演奏の生成も同じものだと思います」と同意。「AIが解釈したグレン・グールド風の演奏を皆様に聴いていただくというプロセスは、AI自身が『考えた』内容と、皆様一人ひとりが考えているものの『対話』という聴き方になります。つまり、AIがグレンのどういう音楽的要素を獲得できていたのか、AIがグレンの演奏から何を見出して、なぜそのような演奏をしたのかを、皆様に解釈をしながら聴いていただく。答えは皆様一人ひとりの中にあると思います。そういう鑑賞をしてもらえるとうれしい」と話した。
こうした、聴き手一人ひとりに判断を委ねるという発言に添うように、“Dear Glenn”のAIによる演奏をリハーサルで聴いた宮澤教授の感想はごく端的なものだった。
「3つのことに気が付きました。まず、ペダルを踏みません。鍵盤に集中して演奏します。それから、空気を読みません。つまり聴衆を気にしないで、Detachmentで演奏します。Detachmentというのはグレン・グールドが好きな夏目漱石の小説『草枕』に出てくる非人情という言葉の英語の訳です。最後に、鼻歌が聞こえません」これから“Dear Glenn”の演奏を耳にする聴衆に予断を与えない配慮だったのかもしれない。
その後、“Dear Glenn”プロジェクトのAIシステムによる自動演奏が約20分間にわたって行われた。グールドが得意としたバッハ『ゴールドベルク変奏曲』のほか、クープランやテレマンの小品など、グールドが生前演奏をしなかった楽曲も披露された。
著名な現役アーティストも登壇するイベントのトリがAIの自動演奏というのはめずらしい。だが、それは決して奇異な光景ではなく、実にグールドにふさわしい敬意を込めたメモリアルイベントに感じられた。それこそが、グールドの特異性なのかもしれない。
伝説的ピアニストに捧げる、AIと人間の共創を追求するプロジェクト。グレン・グールドらしい表現で自動演奏するAIシステムで、その音楽性に迫った
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文/ 仁川清
photo/ 山路ゆか(2~6枚目)
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