Web音遊人(みゅーじん)

ジャン=エフラム・バヴゼ

理知的ピアニストの職人芸、エスプリでつなぐドビュッシー、ショパン、ブーレーズ/ジャン=エフラム・バヴゼ ピアノ・リサイタル

理知的ピアニストがフランスからやってきた。ドビュッシー、ショパン、ブーレーズをエスプリの効いた職人芸でつなぐ。2023年3月17日、ヤマハホールでの「ジャン=エフラム・バヴゼ ピアノ・リサイタル」は、ドビュッシーとショパンの作品を交互に披露し、ブーレーズの短い12曲を加え、最後にドビュッシーの練習曲集で快活さを発揮。見事な職人技に「ブラボー!」の声援が上がった。

ドビュッシーとショパンを交互に弾く前半のプログラムにロマンチックでドラマチックな演奏を期待すると、いい意味で裏切られる。1曲目のドビュッシー『バラード(スラヴ風バラード)』は、ヘ長調の緩やかな分散和音に載せて、懐かし気な旋律をしみじみと弾いていく。今夜はピアノの詩人の登場か。ホ長調の中間部も感情の高まりを詩的に表現した。

続けてショパン『バラード第2番 ヘ長調 作品38』を弾き始めた。ドビュッシーの全音音階風の響きが記憶に残っているため、緩やかに揺れるシチリアーノ風の旋律では長調の調性が浮き彫りになり、ロマンチックな印象が強まる。しかしここまでだ。イ短調で始まる暴風域の中間部は、激情の発露ではなく、音響の爆発だった。バヴゼが機知に富んだ職工的なピアニストであることを伺わせる。彼の関心は物語ではなく、音楽的な機能や技術、知的な分析と遊戯にあるようだ。

ドビュッシーとショパンの組み合わせによる2セット目は『マズルカ』、3セット目は『ワルツ』、4セット目は『タランテッラ』と続いた。いずれも両者の同じタイプの作品を比較分析し、差異を浮き彫りにし、知的に楽しむ趣向。4点セットによって前半のプログラムを4楽章形式の「大作」として構成したのは興味深い。

ドビュッシーの『スティリー風タランテッラ』が始まると、ホ長調の旋律とシンコペーションによる推進力から、交響曲の終楽章に多いロンド風の光明が差し込んできた。最後のショパン『タランテッラ 変イ長調 作品43』をきらめく響きで弾き終えたとき、彼は繊細な叙情詩人から精妙な職人風情にすっかり変わっていた。

後半はフランス現代音楽を代表するブーレーズの『12のノタシオン』から始まった。バヴゼは簡単な英語で12曲を紹介した。いずれもウェーベルン流の十数秒から1分程度の短い曲。2曲目は「最初から読んでも最後から読んでも同じ回文」と説明し、「回文にならない音符が1つだけあり、ブーレーズに指摘したら認められた」という逸話を披露した。演奏は物語や感情が入る隙のない理知的なもの。音の仕組み自体の面白さを伝える瞬間芸だ。

ブーレーズに続いてドビュッシーの『12の練習曲 第1部(6曲)』が始まると、ドビュッシーがハイドンのような古典派に思えてきた。第1曲冒頭のチェルニー風の「ドレミファソファミレ」は準備体操のような単純な音型であり、笑いも誘う。しかしそこからハ長調に様々な遊びが加えられ、技巧的な演奏が展開する。バヴゼは基礎から高難度までの練習を楽しみ、聴き手はスポーツを観る感覚だ。

アンコールのマスネ『トッカータ』もスポーティーな機敏さに満ちていた。ただ、ドビュッシーの『喜びの島』では、感極まる終結部の旋律をもう少し丁寧に弾いてほしかった。そこには劇的で感動的な歌があるのだから。だが、ピアノ愛好家にはたまらない技巧とセンスの持ち主。さらにファンを増やしていくだろう。

 

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

photo/ Ayumi Kakamu

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