Web音遊人(みゅーじん)

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase7)ブーレーズとベリーのパラレルワールド、現代音楽はイノベーションのジレンマか

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase7)ブーレーズとベリーのパラレルワールド、現代音楽はイノベーションのジレンマか

フランスの作曲家ピエール・ブーレーズ(1925~2016年)は現代音楽の旗手だった。では「現代の音楽」の旗手は、と言えば、ポピュラー音楽を含め異論が出る。20世紀後半、人々が最も支持した音楽はロックだろう。ロックンロールの創始者の一人、米国のチャック・ベリー(1926~2017年)はブーレーズと同時代を生きた。現代音楽とロックのパラレルワールドの出現である。そこには経営学理論で言う「イノベーションのジレンマ」があった。破壊的イノベーションの視点から2人の音楽をシン・発見しよう。

知覚を全開にして聴いて楽しもう

ブーレーズは指揮者としても名高いが、彼の作品を毎日愛聴する人はどれだけいるだろうか。難解という先入観がある。専門知識がないと理解できないと思い、コンプレックスを抱く人も多そうだ。シェーンベルクやウェーベルンの無調や十二音技法の音楽を聴き込んでいなければブーレーズの作品は楽しめないのか。知的エリートのための、凡俗を寄せ付けない孤高の前衛音楽。本当にそうだろうか。

ピエール・ブーレーズ/エラート録音全集

自作のほかストラヴィンスキーやシェーンベルク、メシアン、クセナキスらの作品を収めた「ピエール・ブーレーズ/エラート録音全集」(CD14枚組、2015年、ワーナー)

例えば、音高や音価(音の長さ)、アタック(音の立ち上がり)などを音列で組織化するトータル・セリエリズム(総音列主義)の代表作「2台のピアノのためのストリュクチュール(構造)第1巻」(1952年)と「同第2巻」(1961年)。メロディーは感じられず、口ずさむのは無理だが、激しかったり、穏やかだったり、響きの表情が変化するのは分かる。ピアノの硬質な音色も心地よい。抽象絵画を部屋に飾りたくなる。19世紀パリの街並みを越えて見えてくる現代建築群──。「素直に知覚を開いて聴けばいい」。ブーレーズ作品の演奏を推進するピアニストの瀬川裕美子氏はこう話す。難しく考えず、知覚を全開にして聴いて楽しめばいいわけだ。

「ストリュクチュール」は、オリヴィエ・メシアンがピアノ曲「4つのリズムのエチュード」の第2曲「音価と強度のモード」(1949年)で初めて実践したトータル・セリエリズムを徹底させた作品。「メシアンよりもブーレーズのほうが聴きやすい」と瀬川氏。「メシアンは音高やアタックなどによって音を点として決めた。これに対しブーレーズは領域に着目する。音列自体を聴き取ろうとするより、領域的聴き方をしてみるのがいいと思う」(同)。明瞭に尖ったり、複雑に濁ったり、聴こえるままに感知して楽しみたい。

アカデミズムの権威を嫌った独学の人

ではブーレーズの作品は専門家のためのアカデミックな音楽ではないのか。「彼はアカデミズムが形成されてそれを後追いする状況を嫌った」と瀬川氏は指摘する。ブーレーズはパリ国立高等音楽院でメシアンに師事したが、中退。権威ある人々と対立しがちなのだ。その後、ルネ・レイボヴィッツから音列技法を学ぶが、基本的には独学だった。

窓のあるコンポジション~B‘

自作のほかシュトックハウゼンやノーノらの作品も収めたブーレーズ「ドメーヌ・ミュジカル(1956―1967)」(CD10枚組、2006年、ユニバーサル)=(左)、ブーレーズの「ピアノソナタ(全3曲)」や「ノタシオン第6~9番」などを収めた瀬川裕美子「窓のあるコンポジション~B‘」(2020年、トーンフォレスト)

「錯乱を組織するのがブーレーズの考え方。シェーンベルクについても、十二音技法の先生と目される前の、もがいている状態、『3つのピアノ小品Op.11』(1909年)の頃をブーレーズは好んだ」。そう語る瀬川氏は、ブーレーズ自身がもがき、ソナタの型を打ち破ろうとした「ピアノソナタ第2番」(1948年)に関心を持つ。2023年10月と24年1月、異なるプログラムで「同2番」を公演する予定だ。「ブーレーズの音楽は形式に対するリアクション。彼は歴史や状況に反応し続ける。ロックの形式を打ち破るフランク・ザッパの音楽も評価していた」。ブーレーズはロックにも関心を示していたのだ。

チャック・ベリーの破壊的イノベーション

ロックの歴史はブーレーズが活躍した時代と重なる。ロックンロールの先駆者チャック・ベリーはブーレーズの1年後に生まれ、没年も1年違い。エルヴィス・プレスリーやジョン・レノンの生涯はベリーが生きた時代の中に収まる。

ベリーは1955年にシングル「メイベリーン」でデビュー。ダックウォークによるエレキギターの演奏で一世を風靡した。「ロール・オーバー・ベートーヴェン」や「ジョニー・B.グッド」を聴けば、クラシック音楽を物ともしない反権威の姿勢は明らかだ。ビートルズやローリング・ストーンズへの影響は絶大で、以後、ロックは商業的に音楽の中核を担っていく。ベリーは86年、米国で創設された「ロックの殿堂入り」の受賞者第1号となった。

チャック・ベリー・イズ・オン・トップ

「ロール・オーバー・ベートーヴェン」や「ジョニー・B.グッド」を収めたチャック・ベリー3作目のアルバム「チャック・ベリー・イズ・オン・トップ」(1959年、ユニバーサル)

ロックは音楽の破壊的イノベーションだ。米国の経営学者クレイトン・クリステンセンの主著「イノベーションのジレンマ」(1997年)が思い浮かぶ。超優良の大企業は顧客のニーズに正しく応えようとして製品の高性能化という持続的イノベーションに努める。やがて顧客は高性能に追随できなくなる。その隙に新興企業がオモチャのように簡易な製品で破壊的イノベーションを起こし、市場を塗り替えるという理論。フィルムカメラとデジタルカメラをはじめ事例は多々ある。後期ロマン派以降、西洋音楽は作曲技法を高度化し、聴衆が付いていけなくなった。その間隙を突いてシンプルなロックが登場し、人々の心をつかんだ。

西洋音楽史にはほかにもイノベーションのジレンマの例がある。18世紀、バロック音楽はポリフォニー(多声)と通奏低音の技術をベースに精緻化し続けた(=持続的イノベーション)。そこに登場したのが前古典派のサンマルティーニや古典派のハイドンの交響曲(=破壊的イノベーション)。シンプルで親しみやすい主題を展開させ、分かりやすい和声を付けるホモフォニーの音楽だ。史上まれにみる単純化であり、ミラノやロンドンなどで人気を博した。確かにハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンは、破壊的イノベーションによる新パラダイムの中でソナタ形式の技巧を凝らし、フーガのような対位法をはじめバロックからの手法も応用しながら、古典派音楽を急速に高性能化した。だがそこには市民という新たな聴衆の支持があった。

ブーレーズがポップになる時代

今、聴衆に支持されているのは現代音楽かロックか。ロックに分がありそうだが、ブーレーズの作品も破壊的イノベーションかもしれない。ブーレーズは聴衆のニーズに正しく応えようとしてクラシック音楽を高性能化したわけではないからだ。

コンプリート・ウェーベルン

ブーレーズ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏を中心にしたウェーベルン作品全集「コンプリート・ウェーベルン」(CD6枚組、2000年、ユニバーサル)

誰にも迎合せず、我が道を突き進んだブーレーズ。聴衆は彼の音楽に追随できていないが、聴き手の趣向が変化する可能性も今後考えられる。かつて古典派を経てロマン派初期にバロックの大家バッハの音楽が復活した例もある。無調や十二音技法、トータル・セリエリズムのサウンドに現代人の耳は慣れてきていないか。ウェーベルンやブーレーズの音楽はBGMとして聴いてもクールだったりする。2025年はブーレーズ生誕100周年。ブーレーズがポップになる、そんな時代が近く来ないとも限らない。

「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:石丸幹二さん「ジェシー・ノーマンのような表現者になりたい!という思いで歌の世界へ」

10647views

ジャズとロックの関係性

音楽ライターの眼

ジャズにビートルズを引き寄せた名プロデューサーと名ギタリストの出逢い

3375views

トランスアコースティックピアノ™

楽器探訪 Anothertake

音量の問題を解決し、ピアノの楽しみを広げる「トランスアコースティックピアノ」

3800views

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

楽器のあれこれQ&A

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

46134views

大人の楽器練習機

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:世界的ピアニスト上原彩子がチェロ1日体験レッスン

16898views

調律師 曽我紀之

オトノ仕事人

演奏者が望むことを的確に捉え、ピアノを最高のコンディションに整える/コンサートチューナーの仕事

2908views

水戸市民会館

ホール自慢を聞きましょう

茨城県最大の2,000席を有するホールを備えた、人と文化の交流拠点が誕生/水戸市民会館 グロービスホール(大ホール)

4025views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

13418views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

見るだけでなく、楽器の音を聴くこともできる!

13516views

われら音遊人ー021Hアンサンブル

われら音遊人

われら音遊人:元クラスメイトだけで結成。あのころも今も、同じ思いを共有!

4858views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

大人の音楽レッスン、わたし、これでも10年つづけています!

6937views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9676views

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ギタリスト木村大とピアニスト榊原大がトランペットに挑戦!

7029views

ギター文化館

楽器博物館探訪

19世紀スペインの至宝級ギターを所蔵する「ギター文化館」

14485views

なぜジャズのハードルは下がらないのか?vol.8

音楽ライターの眼

なぜジャズのハードルは下がらないのか?vol.8

6457views

オトノ仕事人 ボイストレーナー

オトノ仕事人

歌うときは、体全部が楽器となるように/ボイストレーナーの仕事(前編)

24068views

5 Gravities

われら音遊人

われら音遊人:5つの個性が引き付け合い、多様な音楽性とグルーヴを生み出す

1605views

楽器探訪 - ステージア「ELC-02」

楽器探訪 Anothertake

持ち運び可能なエレクトーン「ELC-02」、自由な発想でカジュアルに遊ぶ

30059views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

4391views

パイドパイパー・ダイアリー

こうしてわたしは「演奏が楽しくてしょうがない」 という心境になりました

8332views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

8553views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

6492views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

24795views