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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase13)プーランク「エディット・ピアフを讃えて」/浜田省吾に通じる愛と自由への願い
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2023.12.6
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, 浜田省吾, プーランク
フランスの作曲家フランシス・プーランク(1899~1963年)はエディット・ピアフ(1915~63年)の大ファンだった。1959年にはピアノ曲「即興曲第15番ハ短調『エディット・ピアフを讃えて』」を作曲した。軽妙洒脱な新古典主義音楽の旗手と「愛の讃歌」のシャンソン歌手をつなぐのは、ナチス占領下の抵抗の姿勢だ。プーランクが1943年に作曲した「バイオリンソナタ」は、スペイン内戦でファシストに銃殺された詩人ガルシア・ロルカの思い出に捧げられた。ウクライナとパレスチナでの戦争が凄惨を極める今、愛と自由への2人の願いは日本の音楽家にも表れる。浜田省吾のライブでそれを体験した。
2023年11月12日、横浜アリーナ(横浜市)での浜田省吾「ON THE ROAD 2023 Welcome back to The Rock Show youth in the “JUKEBOX”」2日目。9月の長野ビッグハット(長野市)から24年初めまで続く約20万人動員の7年ぶり大規模アリーナツアーの5カ所目だ。クラシックも含めこれを2023年筆頭のコンサートに挙げる人は多いはずだ。御年70の浜田のロックはこれまで以上に高い音楽性とアクチュアルなメッセージを放った。
オープニングは「愛の世代の前に」。バックステージに大きく写し出されたのはピカソの「ゲルニカ」。スペイン内戦時の無差別爆撃による大虐殺の悲劇を伝える名画を背景に、浜田が歌う崩れ落ちる脆い夢についての詩が今、何を意味するかは説明不要だ。パレスチナ自治区ガザ、数えきれないほどのウクライナの戦災都市、憎しみの連鎖、核による脅し……。
被爆地・広島県出身の浜田のロックは今こそ最高水準にある。日本語の詩によるロックの底力にただただ圧倒される。アンコールの「今夜はごきげん」「HIGH SCHOOL ROCK & ROLL」「あばずれセブンティーン」のメドレーは圧巻。やはり70代の盟友・町支寛二のギターをはじめ、筋金入りのロックンロールを強力に繰り広げる「浜省バンド」は驚異的だ。
ナチス占領下パリに鳴るバイオリンソナタ
横浜アリーナの駐車場に佇むツアートラックには、仏ノルマンディー地方のエトルタ海岸を背景にギターを弾いて歌う浜田の写真があしらわれていた。ナチスの圧政と暴力から人々を解放するためのノルマンディー上陸作戦だろうか。海の向こうは彼が愛するビートルズの故郷・英国。いろんな意味を考えさせられる。ナチス占領下の1943年パリ。プーランクの「バイオリンソナタ」が鳴り響いた。
プーランクはフランス製薬大手プーランク兄弟社の創業家の御曹司としてパリに生まれた。恵まれた家庭で育った彼の作品は、軽快で都会的に洗練され、エスプリに満ちている。作曲は独学で、作品には通俗性もにじむが、ミヨー、オネゲル、タイユフェール、オーリック、デュレとともに「フランス六人組」と称され、20世紀前半の新音楽として評価された。その中で異彩を放つのが彼唯一のバイオリンソナタ。悲劇的な曲調は彼のほかのどの作品とも似ていない。ベルクやショスタコーヴィチに近いシリアスな雰囲気が張り詰める。
パレスチナ・イスラエル戦争が始まって1週間後の2023年10月14日、ハクジュホール(東京・渋谷)で開かれた「大谷康子のヴァイオリン賛歌第7回〈好奇心〉」。バイオリニストの大谷康子とピアニストの岡田奏が共演したプーランクの「バイオリンソナタ」は強い印象を残した。大谷は同曲を得意とし、これまで何度も公演し、レコーディングもしてきた。
大谷は演奏前、パレスチナでの戦争に言及したうえで、銃声が鳴ってロルカが処刑される場面を描いたという第3楽章の一部を試奏した。ファシストの圧倒的暴力によって詩人の芸術が虫けらのように潰され、浜田の歌のように脆い夢が崩れ落ちる瞬間だ。曲はその瞬間に向かって緊迫した展開をたどる。ゲルニカ無差別爆撃とロルカの処刑に象徴されるスペイン内戦、それに続く第二次世界大戦への抗議。反戦の音楽であることは明らかだ。大谷はさらにそこにウクライナとパレスチナの悲劇を重ねてアクチュアルな演奏芸術を聴かせた。
プーランクはもともと政治や社会への意識が高い作曲家ではない。モーツァルトからシューベルトの歌曲、流行歌まで好んだ道楽息子という印象がある。その彼が政治的意味を持つ「バイオリンソナタ」を書いた背景には、天才バイオリニスト、ジネット・ヌヴー(1919~49年)の存在がある。彼女はナチスからの招きを一切拒否し続けた反骨精神の音楽家。ヌヴーの要請でプーランクは同曲を書き始め、彼女の助言も得て完成させた。初演は1943年6月21日、パリにて、ヌヴーとプーランク自身のピアノによる。それから1年2カ月後の1944年8月、英国からノルマンディーに上陸して進軍を続けた連合軍によってパリは解放された。
ここでようやくエディット・ピアフが登場する。極貧の環境で生まれ育ったピアフが歌手として頭角を現したのは、ナチス占領下の時期だった。貧富の差はあれ、ピアフもプーランクと同様、音楽が好きだっただけ。そして人を愛する力が強かった。
そこで捉え方によっては想像が膨らむ。クロード・ルルーシュ監督のフランス映画「愛と哀しみのボレロ」(1981年)では、ピアフをモデルにしたという歌手エブリーヌが登場する。酒場で歌うエブリーヌはナチス将校と恋仲になるが、パリ解放後、国賊として丸刈りにされる集団リンチを受ける。
事実は逆。ピアフはナチス占領下とヴィシー傀儡政権下で活躍した時期、ドイツから亡命してきたユダヤ人作曲家ノルベルト・グランツベルク(1910~2001年)に恋していたのだ。政治に無頓着なのも手伝って、危険を顧みずグランツベルクをツアーに同行させ、ピアノで共演させる。ゲシュタポの追跡をかわし、伝手を頼って彼を匿い続けた。
戦後、プロボクサーで最愛の夫マルセル・セルダンを航空機事故で亡くし、自身も交通事故と薬物中毒で絶望の淵にあった時期、ピアフは昔の恋人を思い出す。不気味な足音で迫りくるゲシュタポにおびえる日々、1943年にグランツベルクが作曲した「パダン・パダン」。この歌が1952年に大ヒットし、ピアフは復活した。
プーランクにとってピアフとヌヴーは愛と自由のために活動した仲間。ピアノ独奏による「即興曲第15番『エディット・ピアフを讃えて』」には盟友への敬愛が感じられる。シャンソンの名曲「枯葉」をもじった節回しには親愛感と遊び心もある。
ガザにも詩人がいる。誰にも読まれず、歌われず、瓦礫と化した詩がある。プーランク、ピアフ、浜田省吾。人々を感動させるのは、不当に失われる歌を呼び起こし、愛と自由の世代をもたらそうとする彼らの詩魂。それをロック魂と呼びたい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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