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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase65)ベルリオーズは清く正しく美しく、「キリストの幼時」の素朴な響き、室内楽とアカペラに純化
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2026.2.12
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ベルリオーズ
フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズ(1803~69年)は「幻想交響曲Op.14」でロマン派音楽を切り拓いた。そこにはスペクタクルな大管弦楽のイメージが付きまとう。しかし派手な管弦楽法だけがベルリオーズではない。声楽とオーケストラによる聖三部作(オラトリオ)「キリストの幼時Op.25」は素朴な響きで聖家族の避難を描く。第3部ではフルート2本とハープの三重奏という室内楽曲が入り、合唱はアカペラへと純化する。清く正しく美しいベルリオーズを体験しよう。
ベルリオーズの作品で最も人気があるのは「幻想交響曲」。次いで劇的物語「ファウストの劫罰Op.24」。さらには序曲「ローマの謝肉祭Op.9」、交響曲「イタリアのハロルドOp.16」、劇的交響曲「ロミオとジュリエットOp.17」といったところか。「幻想交響曲」の第4楽章「断頭台への行進」や第5楽章「魔女の夜宴の夢」、「ファウストの劫罰」第1部の「ハンガリー行進曲」をはじめ、狂気の沙汰の華々しいオーケストレーションに聴き手が圧倒される作品が多い。
このほか、舞台の外で吹奏する金管楽器群のバンダ(別動隊)4組を要する「死者のための大ミサ曲Op.5」、バンダを含む大管弦楽による上演約4時間のグランドオペラ「トロイア人たち」など、誇大妄想的な大作も畏怖と尊敬の的だ。スペクタクルでドラマチック、色彩豊かな大管弦楽がベルリオーズの音楽のイメージである。そうした中でこれまで人気ランキングの上位に入ってこなかったと思われるのが「キリストの幼時」だ。
ベルリオーズ通を自任する人が歌曲集「夏の夜Op.7」を挙げる向きもある。しかし真の感動巨編にして隠れた名曲となると、やはり「キリストの幼時」ということになる。しかも「キリストの幼時」はベルリオーズが生前に称賛を浴びた数少ない作品の一つでもある。他の作曲家に手厳しかったブラームスでさえ、「この曲がベルリオーズの中で、一番好き」と言ったという(マイケル・マスグレーヴ著「ブラームスの真実 ブラームス読本 上」天崎浩二監訳、福原彰美共訳、音楽之友社)。
1854年の初演当時に絶賛された「キリストの幼時」が現代において認知度が低いのも不思議ではある。聴く機会が少ないせいかもしれない。筆者もベルリオーズ作品については「幻想交響曲」から一連のスペクタクルな大作を経て、ようやく「キリストの幼時」に辿り着いた。最初に聴いたのはシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団ほかによる1995~96年録音の2枚組CD(デッカ、ユニバーサル)だった。その時の新鮮な感動は忘れられない。ベルリオーズの音楽がこれほどまでに透明で静謐、バロック風で室内楽的だったとは――。
ベルリオーズは「回想録」の中で「フランスには、私に対して偏見がある」と書いた(ベルリオーズ著「回想録2」丹治恒次郎訳、白水社)。具体例として合唱曲「羊飼いたちの別れ」を演奏会で発表した際のことを挙げている。この曲は18世紀の架空の作曲家ピエール・デュクレ楽長の作品と偽って発表したのだった。その素朴な旋律は絶賛された。そして「ベルリオーズにこんな音楽がつくれるはずがない!」(同書)と多くの人々が語ったと綴っている。「羊飼いたちの別れ」は「キリストの幼時」第2部「エジプトへの逃避」の第2曲として用いられることになる。
「キリストの幼時」は第1部「ヘロデの夢」、第2部「エジプトへの逃避」、第3部「サイスへの到着」から成る。「マタイによる福音書」2章の聖家族のエジプトへの避難とヘロデ王によるベツレヘムとその周辺一帯の子供皆殺しのエピソードを題材にしているが、新約聖書通りの内容ではない。ベルリオーズは文筆家としての才能も発揮し、自身で脚色して台本を書いた。彼のフランス語の詩の響きが清澄な音楽の流れに心地よく乗る。演奏に100分近くを要する大作ながら、金管楽器や打楽器がベルリオーズらしく派手に爆発することもない。管弦楽は普通規模の編成であり、小編成でもないのだが、簡潔で素朴、室内楽のように穏やかできめ細やかに響く。
ベルリオーズへの固定観念を覆すような逆張りともいえる「キリストの幼時」だが、第1部「ヘロデの夢」には控えめながら不気味でグロテスクな要素がある。テノールのレチタティーヴォ(叙唱)から始まり、イエスの誕生について「しかしいかなる奇跡も(幼子イエスを)まだ世に知らしめていなかった(Mais nul prodige encor ne l’avait fait connaitre.)」と語り歌う(仏語和訳は以下すべて筆者拙訳)。それでも権力者はすでに恐れていると語り、ヘロデ王の幼児皆殺しの罪を暗示する。
続いて行進曲が始まる。これは「ファウストの劫罰」第1部でファウストの叙唱に続いて「ハンガリー行進曲」が鳴り始めるのと似ている。だが「キリストの幼時」では不気味に静かで淡々とした「夜の行進曲」である。暗い響きのハ短調で、弦や木管のパートを重ねていく対位法的なフーガの手法を用いて古風な雰囲気を出す。金管楽器や打楽器が派手に鳴ることもない。ローマ兵たちが息を潜めてエルサレムの街を巡回する夜警の行進曲だ。しかも行進曲は盛り上がるどころか途中で途切れ、警備中の哨兵隊長と百人隊長が行き会い、ヘロデ王の悪夢について陰口を交わす叙唱が入る。静寂の夜警行進曲は異様で独特だ。
行進曲が消え入ると、悪夢に苛まれるヘロデ王のアリアが始まる。「またしてもこの夢か!またあの子供だ、私を王座から追い落とそうとする(Toujours ce rêve! /encore cet enfant/Qui doit me détrôner)」。呼び集められた神官たちはカバル的(秘儀的)な踊りを披露し、精霊を呼び起こす。4分の7拍子のグロテスクな舞踊音楽だ。神官たちの進言でヘロデ王は新生児の皆殺しを決意する。全編で最も悪魔的で、ベルリオーズの音楽への通念に合致する場面だ。のちのプッチーニのオペラ「トスカ」の警視総監スカルピア男爵にも通じるヘロデ王の異常な偏執ぶりを描くが、管弦楽の鳴らし方はベルリオーズのほかの大作よりも大人しい。
第1部の終盤にはマリアとヨゼフの二重唱や天使の合唱が入り、清澄で美しい歌が盛り込まれる。第2部「エジプトへの逃避」と第3部「サイスへの到着」では音楽がいよいよ純朴で簡潔、清く正しく美しくなる。第2部では、上述した素朴で牧歌的な合唱曲「羊飼いたちの別れ」が披露される。17~18世紀フランスのバロックとロココ(前古典派)の様式のような古風な雰囲気が濃厚になってくる。
第3部前半では、命からがらサイスの町に到着した聖家族の哀れな様子が描かれる。ローマ帝国と一体化し、残酷で高慢な人々が暮らすこの町で、聖家族はパンと宿を求める。しかしローマ人の合唱は「失せろ、下劣なヘブライ人ども!(Arrière, vils Hébreux!)」。この場面でのヨゼフとマリアの歌は悲痛に満ちている。だがそれもやがて解決する。親切なイシュマル人の主人が聖家族を自宅へと招き入れてくれるのだ。ここから音楽は純化の一途をたどっていく。
圧巻はイシュマル人の主人が聖家族を喜ばせるために、「神聖な科学(La science sacrée)」を始めようと言って、子供3人にフルート2本とハープによる三重奏を演奏させる場面だ。この三重奏は本当に独立した室内楽曲になっていて、ほかのオーケストラの楽団員は一切演奏しない。長大なオラトリオの中に「2本のフルートとハープのための三重奏曲」が組み込まれているのである。三重奏曲は無垢で純粋なハーモニーを聴かせる。
最終場面では幼子イエスとマリア、ヨゼフがイシュマル人の家で安堵の眠りに就く。語り手のテノールは救い主が異教徒によって救われたことを歌い、彼が将来行う神聖な犠牲を予告する。「ああ私の心よ、荘厳で清らかな愛に満たされよ(Ô mon cœur, emplis-toi du grave et pur amour)」と歌う最後の合唱ではオーケストラの伴奏も無くなり、全くのアカペラ(無伴奏コーラス)になる。敬虔で崇高な美しい宗教曲に感動すること必至。「キリストの幼時」にはベルリオーズの本質が詰まっている。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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