今月の音遊人
今月の音遊人: 上野耕平さん「アクセルを踏み続けることが“音で遊ぶ”へとつながる」
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フィギュア・スケートの選手たちに愛されるプッチーニの『トゥーランドット』 vol.2
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2018.2.5
tagged: プッチーニ, トゥーランドット, フィギュア・スケートの選手たちに愛されるプッチーニの『トゥーランドット』
プッチーニの暮らした家は、イタリアのルッカとその周辺に残されている。生家は、ルッカ市内のポッジョ・コルテ・S・ロレンツォ通りの3階建の家。この2階全部がプッチーニ家の住まいだった。
彼は21歳までここに住んでいた。内部には幼いプッチーニが使っていた机や椅子、「トゥーランドット」の作曲に使用したピアノ、自筆譜、家族の肖像画などが展示されている。
ルッカから25キロ離れたトッレ・デル・ラーゴに出向くと、コートを着たプッチーニ像が迎えてくれる。(写真一番上)
ジャコモ・プッチーニ通りの並木道の行き止まりには、マサチュウコッリ湖の湖畔に立つ広大な庭園をもつプッチーニ邸があり、この家は「ラ・ボエーム」の印税で建てられたと伝えられている。1階はピアノのある書斎、狩りを好んだプッチーニならではの銃の部屋、その間の部屋が霊廟(れいびょう)となっている。
霊廟はプッチーニの死後、息子のアントニオが改造して作ったもので、プッチーニと妻エルヴィラ、アントニオ(1946年没)の遺骨が納められている。
なお、1920年には「蝶々夫人」の名唱で知られる三浦環がプッチーニに招待され、このヴィラを訪ねたといわれている。
プッチーニは1921年末、トッレ・デル・ラーゴの少し北に位置するヴィアレッジョに移った。ミケランジェロ・ブオナローティ通り209番地のレンガ塀に囲まれた瀟洒(しょうしゃ)な館で、亡くなる直前までこの家で過ごした。しかし、この家は現在トッレ・デル・ラーゴのそれとはまったく趣を異とし、手入れが行き届かず荒れ放題、内部見学も不可能である。その違いに驚かされ、また深い悲しみも感じる。
プッチーニは、「トゥーランドット」の第2幕まではトッレ・デル・ラーゴで作曲し、残りをこの家で書いている。
プッチーニがこよなく愛したルッカとその近郊の町では、毎年オペラ・フェスティヴァルや声楽コンクールが開催され、世界中の人々がプッチーニの作品を楽しんでいる。特に、毎年マサチュウコッリ湖畔で開催されるプッチーニ・オペラ・フェスティヴァルが有名である。
伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー