Web音遊人(みゅーじん)

2020年はベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤー ~師・サリエリに捧げられた3曲のヴァイオリン・ソナタ

2020年は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の生誕250年にあたるメモリアルイヤーである。すでに2019年から記念の年に向けて、世界各地のアーティストがベートーヴェンの作品をプログラムに組むコンサートを行ったり、レコーディングにも着手している。

ベートーヴェンの音楽にはさまざまな感情が息づいている。実らぬ恋に涙し、からだの変調に苦悩し、人とのコミュニケーションがうまくいかず孤独に陥り、時代や社会や戦争に憤り、そして自己の音楽との戦いに明け暮れる、そんなベートーヴェンの生き方すべてが作品に投影されている。その音楽からは、はげしく真摯で一本気なベートーヴェン像が浮かび上がってくるが、その底にはいい尽くせないほどのロマンに満ちあふれたベートーヴェンの表情も垣間見ることができる。

ベートーヴェンは希代のロマンチストではないだろうか。いずれの作品にも優しさとおだやかさとあふれんばかりの美しい夢が秘められている。ベートーヴェンはピアノに向かって演奏したり作曲したりするとき、いつも夢を追いかけていたように感じられる。音楽のなかで夢を模索していたのかもしれない。

ハイリゲンシュタットに残るベートーヴェンの散歩道

2020年はベートーヴェンの録音を世に送り出したさまざまなアーティストに因み、何度かに分けてその作品群を紹介していきたいと思う。ベートーヴェンはよく演奏される有名な作品が多いが、その他にもすばらしい作品は数多く存在する。今回は、千住真理子(ヴァイオリン)と横山幸雄(ピアノ)が録音したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのなかから、第1番から第3番を取り上げたい。これらの3曲は後半の曲にくらべて演奏される機会がそう多くはないものの、ベートーヴェンのみずみずしい音楽が味わえる。

ベートーヴェンは生涯にわたり交響曲やピアノ・ソナタを作曲し続けたが、ヴァイオリン・ソナタに関しては、交響曲第3番「英雄」を書いた1804年までに全10曲中の9曲までを誕生させている。最初の3曲のヴァイオリン・ソナタ(作品12-1、2、3)はベートーヴェンにオペラの作曲技法を伝授したといわれるアントニオ・サリエリに捧げられている。

第1番は作曲された年について1795年、1797年というふたつの説があり、ハイドンやモーツァルトの音楽に親しんでいたウィーンの人たちを強く意識して作られたと思われる。古典的で伝統的な曲想が特徴だが、そのなかで第2楽章にベートーヴェンが得意とする変奏曲を導入し、新たな空気を送り込んでいる。
第1楽章は優雅なウィーン風の旋律で明るくさわやかに始まる。第2楽章はピアノで提示される冒頭の主題がシンプルで美しく、これが変奏されていく。第3楽章は明るく軽快なロンド主題となり、みずみずしく活気にあふれ、輝かしく幕を閉じる。

ヴァイオリン・ソナタ第2番は、作品12の3曲のソナタのなかではもっとも規模が小さく簡潔。ボン時代に書いた主題が用いられていることから、3曲のなかで最初に作られたものと考えられている。ウィーンで師事したハイドンの影響を見ることができ、随所に登場する若々しい旋律が印象的。とりわけ第3楽章のロンド主題の巧妙な展開は、ベートーヴェンの創作意欲を示している。
第1楽章は陽気でかろやかなリズムに乗ってシンプルな主題が提示される。第2楽章は 短調で、淡い感傷を伴う。第3楽章はメヌエット風のゆったりとしたロンドで、のちのロンド・ソナタ形式の萌芽が見られる。

ヴァイオリン・ソナタ第3番は、3曲のなかでは構成面も内容ももっとも充実し、特にヴァイオリンの美しい音色が発揮する明快な旋律がさわやかさを醸し出す。特に第3楽章のロンドは活気にあふれ、3つの主題がみごとに対比し、ヴァイオリンとピアノの対話も格段に密度の濃いものへと変貌を遂げている。
第1楽章は交響曲第1番のアレグロと同様の溌剌な様相を呈し、第2主題が特に美しい。第2楽章はヴァイオリンの魅力を存分に引き出す旋律が特徴となっている。第3楽章は明快なロンド主題によって組み立てられ、全曲を輝かしく結んでいる。

千住真理子の楽器は、ストラディヴァリウスの1716年製「デュランティ」という名器。その音色をたっぷり堪能したい。

■アルバムインフォメーション

『ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集Vol.1』
演奏:千住真理子(バイオリン)、横山幸雄(ピアノ)
発売元:ユニバーサル ミュージック合同会社
発売日:2019年10月23日
料金:3,850円(税込)
詳細はこちら

伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:寺井尚子さん「ジャズ人生の扉を開いてくれたのはモダン・ジャズの名盤、ビル・エバンスの『ワルツ・フォー・デビイ』」

9245views

自伝『ABC: A Lexicon Of Life』

音楽ライターの眼

ABC『ルック・オブ・ラブ!!』の秘密が今明かされる。自伝『ABC: A Lexicon Of Life』刊行

1183views

STAGEA(ステージア)ELB-02 - Web音遊人

楽器探訪 Anothertake

スタイリッシュなボディにエレクトーンならではの魅力を凝縮!STAGEA(ステージア)「ELB-02」

15024views

楽器のあれこれQ&A

ピアノ講師がアドバイス!練習の悩みを解決して、上達しよう

5038views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若手サクソフォン奏者 住谷美帆がバイオリンに挑戦!

9789views

オトノ仕事人

子ども向けコンサートを企画し、音楽が好きな子どもを増やす/コンサートプロデューサーの仕事

9084views

グランツたけた

ホール自慢を聞きましょう

美しい歌声の響くホールで、瀧廉太郎愛にあふれる街が新しい時代を創造/グランツたけた(竹田市総合文化ホール)

7720views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

11385views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

世界に一台しかない貴重なピアノを所蔵「武蔵野音楽大学楽器博物館」

23592views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:仕事もバンドも、常に真剣勝負!

10058views

山口正介さん

パイドパイパー・ダイアリー

「自転車を漕ぐように」。これが長時間の演奏に耐える秘訣らしい

6486views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10797views

大人の楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

20260views

ギター文化館

楽器博物館探訪

19世紀スペインの至宝級ギターを所蔵する「ギター文化館」

15659views

音楽ライターの眼

連載48[ジャズ事始め]“アジア”から“江戸”へと回遊を始めた21世紀初頭の日本のジャズ

1929views

鬼久保美帆

オトノ仕事人

音楽番組の方向性や出演者を決定し、全体の指揮を執る総合責任者/音楽番組プロデューサーの仕事

3039views

われら音遊人:クラノワ・カルーク・ オーケストラ

われら音遊人

われら音遊人:同一楽器でハーモニーを奏でる クラリネット合奏団

8689views

Pacifica

楽器探訪 Anothertake

「自分の音」に向かって没入できる演奏性と表現力/エレキギター「Pacifica」

1970views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

6158views

パイドパイパー・ダイアリー

こうしてわたしは「演奏が楽しくてしょうがない」 という心境になりました

8912views

フルート

楽器のあれこれQ&A

初心者にもよくわかる!フルートの種類と選び方

22598views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

3532views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

32138views