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連載49[ジャズ事始め]フュージョン的アプローチでは生まれなかった大江戸ウィンドオーケストラ
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2021.12.13
大江戸ウィンドオーケストラは、既成のポップス・オーケストラや吹奏楽団となにが違っていたのか?
前回、“文脈”という言葉を用いたが、ボクは大江戸ウィンドオーケストラの成立と、日本におけるポップス・オーケストラや吹奏楽団の成立とのあいだには根本的な違いがあると感じて、この問題提起をすることにした。
軍楽隊をルーツとするポップス・オーケストラや吹奏楽団は、本来の役割である“行進における合図”と“戦意高揚”の要素を薄めて、それを利用してきた国に定着することになった。日本でもそうであったことは、この“ジャズ事始め”シリーズの序盤で触れた。
軍楽隊をいち早く採用した欧米諸国では、その後継であるポップス・オーケストラや吹奏楽団でも当然のことながらオリジナル曲が多く作られ、後発組である日本(およびアジアや環太平洋諸国)ではそれを規範として学ぶ、という構図が自然とできあがっていた。
日本(およびアジアや環太平洋諸国)特有の節回しを取り入れるなどの“微調整”はされたものの、原則として“輸入された欧米の音楽”を土台としたジャンルであるという認識は変えられることなく続いてきたというのが、ひとつの“文脈”になる。
一方で、後発組のメンバーと楽器、そして作風を軸として楽隊を編制しようとしたのが、大江戸ウィンドオーケストラだった。
“文脈”という意味では、大江戸ウィンドオーケストラは、“輸入された欧米の音楽”という土台の否定=逆説によって提示しようとした“非欧米型のオーケストラ”になると考えたわけだ。
だから“文脈が違う”としたのだ。
逆説自体は、方法論の行き詰まりを打開するためによく用いられるけれど、この“非欧米型のオーケストラ”という発想に至る逆説は、かなり根が深いと感じざるを得なかった。
というのも、この“逆説”に至る前に、ポピュラー音楽では“混ぜる”という実験が行なわれ、それがある程度、成功を収めていたという経緯がある。
異文化の要素をブレンドして整える方法は、広くフュージョンと呼ばれて一世を風靡したわけだが、その発信源のひとつであった日本で、“混ぜる”だけでは本当の意味でのオリジナリティには到達できないという想いが、主導的立場にいた演奏家たちにあったのではないか──。
こうした仮説を立てるに足る歴史的証拠が残っていたことに気づいた、というのが、この“ジャズ事始め”を書き始めるきっかけとなった。
少し抽象的な表現に走ってしまったかな。次回でこの“ジャズ事始め”をまとめてみたい。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ/富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook
文/ 富澤えいち
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