今月の音遊人
今月の音遊人:佐渡裕さん「音楽は、“不要不急”ではない。人と人とがつながり、ともに生きる喜びを感じるためにある」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase2)チャイコフスキー『スラブ行進曲Op.31』 傷病兵救済の慈善演奏会、U2のキーウ地下鉄ライブにつながるか
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2023.6.13
tagged: チャイコフスキー, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, スラブ行進曲, U2
反戦・平和が信条でも、トランペットや打楽器が華々しく鳴る軍楽的な行進曲に心躍る人は多い。クラシック音楽を好む理由の一つは、マーラーやショスタコーヴィチの交響曲にスペクタクルな行進曲があることだったりする。ロックと同様、パワーをもらえる。チャイコフスキーの『スラブ行進曲Op.31』は最たる作品。1876年、セルビア傷病兵救援基金募集のための慈善演奏会用に作曲、初演された。国威発揚でも戦意高揚でもなく、慈善が第一の目的だった。チャイコフスキーの思いはU2のキーウ地下鉄駅防空壕ライブにつながるか。
2022年2月にロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって以来、チャイコフスキーの音楽はしわ寄せを受けている。ナポレオン率いるフランス軍にロシア軍が勝利する様子を描いた『大序曲1812年Op.49』は不適切だとして各地で演奏中止が相次いだ。
やはりチャイコフスキーが愛国心に駆られて作曲したといわれる『スラブ行進曲』も演奏しにくい状況だろう。両曲とも帝政ロシア国歌『神よ、ツァーリを護り給え』を引用している。だが『スラブ行進曲』は同じスラブ民族のセルビア人を支援する意図を持っていた。チャイコフスキーは曲名を当初の『セルビア・ロシア行進曲』から『スラブ行進曲』に変えた。ロシア主導の汎スラブ主義の反映とはいえ、ウクライナも含むスラブ諸族を励ます内容さえ読み取ろうと思えばできるのは興味深い。チャイコフスキーはウクライナ・コサックの家系で、妹の嫁ぎ先もウクライナであることも考えると、「スラブ」の意味は増す。
1875年、オスマン帝国の圧政に苦しむキリスト教徒のセルビア人が反乱を起こした。セルビア公国は翌76年、宗主国のオスマン帝国に宣戦布告したが、苦戦を強いられ、多くの犠牲者を出した。モスクワ音楽院院長のニコライ・ルビンシテインは犠牲者追悼とセルビア傷病兵救済のための募金を目的とした慈善演奏会を企画。親友のチャイコフスキーが彼の依頼に応じて『スラブ行進曲』を作曲した。ルビンシテインの指揮によるモスクワでの初演は熱狂に包まれたという。
甘美な旋律と分かりやすさからチャイコフスキーを通俗的だとして軽視する風潮がある。だが人気を集める通俗性はあったほうがいい。幼少時からモーツァルトの音楽に親しんだチャイコフスキーは、明快な形式に感情と叙情の過剰なドラマを盛り込んだ作品を書いた。フルトヴェングラーが言ったように「すべて偉大なものは単純」なのだ。筋金入りのクラシック音楽ファンこそチャイコフスキーをこよなく愛す。
『スラブ行進曲』の魅力はまず、哀愁を帯びたセルビア民謡『明るい太陽よ、あなたは平等には照らさない』による変ロ短調の主題の展開にある。不穏な雰囲気を強調し、圧政と戦争の恐怖を感じさせる。不安定なドミナント(属音、属和音)を異様に引き延ばしてトニック(主音、主和音)のインパクトを強めるチャイコフスキーらしい作曲手法だ。『明るい太陽』が威圧感のある行進曲となって頂点を築いた後、軽快な変ニ長調に変わり、セルビア民謡『セルビア人は喜んで軍隊に入る』の主題が登場する。最後に帝政ロシア国歌も鳴り響き、セルビアとロシアの勝利を確信する大団円を築く。
ちなみに『スラブ行進曲』の出だしは、同じ『明るい太陽』の音型を使ったリムスキー=コルサコフの『セルビア幻想曲Op.6』(1867年)の冒頭と酷似している。チャイコフスキーはこの作品を称賛していた。当時、セルビア人作曲家コルネリイェ・スタンコヴィッチ(1831~65年)がセルビア民謡を書き留めて編曲しウィーンで出版を重ねていた背景もある。ロシアでもセルビア音楽への関心が高まっていたとみられる。
LPレコード時代は1966年録音のカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「チャイコフスキー:『大序曲1812年』、『スラブ行進曲』、幻想序曲『ロミオとジュリエット』」(独グラモフォン)が定番だった。CDでは『イタリア奇想曲』を加え、『カラヤン文庫』として出ている。中でも『スラブ行進曲』は親しみやすい旋律とリズム、各楽器の特徴が引き立つ色彩豊かな管弦楽法などでクラシック入門向きだが、生涯聴ける名曲でもある。
慈善演奏会での『スラブ行進曲』を想像すると、アイルランド出身のロックバンド「U2」が思い浮かぶ。2022年5月、ウクライナのゼレンスキー大統領の招きで首都キーウ地下鉄駅防空壕にてボーカルのボノとギターのジ・エッジがライブをしたのは記憶に新しい。2人が演奏した曲の一つが1983年のサードアルバム『WAR(闘)』の1曲目『ブラディ・サンデー』。デモ参加のカトリック系市民に英国軍が発砲した北アイルランド紛争の悲劇「血の日曜日事件」を扱っている。
キーウではギター伴奏のみのアコースティックな編曲だったが、原曲はドラムスがマーチとも機関銃とも思える強烈なリズムを叩き出し、ジ・エッジのエレキギターがひずんだ響きでうなりまくり、ボノが「ノー・モア!(あの悲劇には戻らない)」と絶叫する。U2が『ブラディ・サンデー』をライブで演奏するとき、ボノは非暴力の象徴である白旗を掲げて行進するパフォーマンスを繰り広げてきた。非暴力の連帯を訴えるロック行進曲だ。
『スラブ行進曲』初演後の1877年、露土戦争が始まり、ロシアはオスマン帝国に勝利した。チャイコフスキーの行進曲は結果として当時のロシア参戦を煽ったかもしれない。人々を感動させる音楽は良くも悪くも政治的に利用価値がある。U2の非暴力へのロック行進曲はどんな結果を生み出すか。チャイコフスキーとU2の音楽に感動しないでいるのは難しい。真の感動の発見はアクチュアルな問題の直視から始まる。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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