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今月の音遊人:上原ひろみさん「初めてスイングを聴いたときは、音と一緒に心も躍るような感覚でした」
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追悼:バーニー・マースデン/ホワイトスネイクとブルースに生きたギタリスト
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2023.9.19
tagged: 音楽ライターの眼, ホワイトスネイク, バーニー・マースデン
2023年8月23日、バーニー・マースデンが亡くなった。享年72。死因は細菌性髄膜炎といわれる。
多くの音楽ファンがバーニーのことを、ホワイトスネイクのギタリストとして記憶しているだろう。シンガーのデヴィッド・カヴァーデイルと共作した『フール・フォー・ユア・ラヴィング』(1980)はバンドの初期の代表曲だし、『ヒア・アイ・ゴー・アゲイン』(1982)は1987年に別メンバーによって再レコーディングされ、全米チャート1位に輝いている。
バーニーのキャリアはホワイトスネイク以前もUFO、コージー・パウエルズ・ハマー、ベーブ・ルース、ペイス・アシュトン・ロードなどハード・ロック寄りのものが多く、ホワイトスネイク脱退後もSOS、アラスカを経てMGM、ムーディ・マースデン・バンド、カンパニー・オブ・スネイクス、M3など、ホワイトスネイク人脈のミュージシャンと往年のクラシックスを演奏して人気を博してきた。
ハード・ロックの分野で名声を得たバーニーだったが、そのルーツはブルースにあった。
ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンに憧れてギタリストを志したバーニーだったが、1966年、ジョン・メイオールの『ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』でのエリック・クラプトンのプレイに衝撃を受ける。このアルバムはヒット・チャートでトップ10入り、イギリス全土にブルース・ブームを巻き起こしたが、彼もこのアルバムに魅了された1人だった。
そうして彼がさらにブルースに傾倒するきっかけとなったのがピーター・グリーンだった。エリックの後任としてブルースブレイカーズに加入したピーターは後にフリートウッド・マックを結成するが、バーニーにも多大な影響を与えている。筆者(山﨑)は2002年に彼とインタビューしたことがあるが、「もしピーターがいなかったら、君と話していないだろうね」と語るほどのファンだった。
そんなピーターとブリティッシュ・ブルースに捧げたトリビュート・アルバムが『Green and Blues』(1995)だ。ホワイトスネイク時代にもボビー“ブルー”ブランドの『エイント・ノー・ラヴ・イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ』やリトル・ウィリー・ジョンの『ニード・ユア・ラヴ・ソー・バッド』(フリートウッド・マックのヴァージョンがヒット)をカヴァーしたり、ザ・ムーディー・マースデン・バンドの『ネヴァー・ターン・ユア・バック・オン・ザ・ブルース』(1992)でブルースに接近するなどしてきたバーニーだが、本作ではブルースブレイカーズやフリートウッド・マックのカヴァーを収録、オリジナル曲も1960年代英国ブルースのスタイルを踏襲するなど、ありったけの敬意と愛情を込めたアルバムに仕上げている。
なお彼がこの作品を完成させた1995年、ピーターは音楽シーンから引退していたが、突如電話をしてきたという。「ピーター・グリーンです」と名乗られて、彼は「ショックを受けた」と語っていた。
それからバーニーとピーターは音楽を超えた友情を育むことになった。2020年2月、ロンドンで豪華オールスター・キャストのトリビュート・コンサートが行われたとき、ピーターも出演を請われたが、彼は「興味がない」と不参加。バーニーを自宅に招いてお茶をしていたという。
もちろんバーニーは英国ブルースばかりでなく、本場アメリカのブルースからも影響を受けてきた。ブルースブレイカーズ経由でフレディ・キングを知った彼は聴き耽り、何度もライヴに足を運んでいる。「初めて会ったとき、彼は車を直していたんだ」とバーニーは話していた。彼はまたマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフのライヴを見たことがあり、自伝『Where’s My Guitar?:An Inside Story of British Rock and Roll』のオーディオブック版(朗読はバーニー自身によるもの)には1978年、彼がB.B.キングにインタビューしたときの音源がボーナス収録されてきた。
彼のブルースへの敬愛の集大成といえるのが『Kings』『Chess』(共に2021)『Trios』(2022)のアルバム3部作だった。アルバート/B.B./フレディの“3大キング” の曲をプレイする『Kings』、ブルースの名門レーベル“チェス・レコーズ”の名曲を集めた『Chess』、テイストやロビン・トロワーなどトリオ編成のブルース・ロックを取り上げた『Trios』は、彼のキャリアに幕を引くのに相応しい充実した内容だった。
さらにバーニーは「マディ・ウォーターズの1940年代の78回転レコードを何枚か持っているよ。チャック・ベリーの初期シングルもね」と語る年季の入ったコレクターだったし、「最近入手したのはシドニー・メイデンというハーモニカ奏者、それからダグ・クワトルバウムのレコードなんだ」とマニアックな趣味をしていた。
1990年代後半から徐々にロック系よりもブルース系のフェスティバルに足場を移していき、またジョー・ボナマッサやジョアン・ショウ・テイラーら若手ブルース・アーティストと交流を持つなど、晩年の彼の活動はブルース色が濃いものだった。そんな一方で2023年6月に自らのギターのコレクションを手放すと発表したのは、自分に残された時間が少ないことを察知していたのだろうか(すぐに撤回、無期延期となった)。
ブルースとロックに生きたギタリスト、バーニーのプレイは、これからも聴き継がれるだろう。彼はまた温かみとユーモアのある好人物で、周囲の多くの人々から愛されていた。その音楽と人生に献杯したい。
山崎智之〔やまざき・ともゆき〕
1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,000以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検第1級、TOEIC 945点取得
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文/ 山崎智之
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