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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#046 コード楽器同士ゆえの齟齬を解消して対等な“対話”を完成させたデュオの究極形~ビル・エヴァンス&ジム・ホール『アンダーカレント』編
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2024.10.21
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, ビル・エヴァンス, ビル・エヴァンス&ジム・ホール, ジム・ホール, アンダーカレント
そういえば、ジャズの世界で「ピアノとギターの相性は悪い」と言われていたことがありました。
最近でこそ、そのような言説は耳にしなくなりましたが、ボクがジャズの取材をするようになった30年ぐらい前は、実際にそういうニュアンスで質問に答えてくれたミュージシャンもいたのです。
なぜ“相性が悪い”のかというと、お互いにコード(和音)を担当する立場であることと、そのコード・ワークの考え方に違いがあるとサウンド全体に深刻な影響を及ぼしかねないから、というのが理由だったりします。
半音を加えるのか加えないのか、どの部分の半音なのか──に工夫を凝らすことで複雑かつ斬新なサウンドを生み出し続けてきたジャズにおいて、その勘所のコンセンサスがとれない相手との共演の結果は、確かに火を見るより明らかだったこともあったのでしょう。
現在、ジャズ理論が浸透し選択肢が顕在化したことで、コード・ワークの不一致はほとんど回避できるようになったようです。
しかし、スウィングからビバップへと表現が多様化していく過渡期だった1950〜60年代には、それぞれが信条とするコード・ワークの違いによって、齟齬が生じることもあったようです。
そんな“コード・ワークの壁”をぶっ壊すように登場したのが、ピアノとギターだけでモダン・ジャズを成立させてしまった本作。
彼らがモダン・ジャズの“名盤”を成立させた背景を再考してみたいと思います。
1962年にスタジオでレコーディングされた作品です。
メンバーは、ピアノのビル・エヴァンスと、ギターのジム・ホールの2人だけ。いわゆる“デュオ”という編成です。
オリジナルはLP盤で、A面3曲B面3曲の合計6曲でリリースされています。CD化では同曲数同曲順のほか、別テイクやボーナス・トラックを追加した10曲収録ヴァージョン、ボーナス・トラックとモノ録音(オリジナル盤はステレオ録音を収録)を追加したCD2枚組27曲収録ヴァージョンなどのヴァリエーションがあります。
収録曲はジャズ・スタンダードを軸に、モダン・ジャズ・クァルテット(MJQ)を率いたピアニストのジョン・ルイスの曲やジム・ホールの曲を取り上げています。
いまでこそビル・エヴァンスは“モダン・ジャズを代表するピアニスト”として知られていますが、シーンが注目し始めたのは1958年、彼がマイルス・デイヴィスのバンドに起用された29歳のときのこと。
“遅咲き”と言っても過言ではない年齢だったわけですが、ジャズの歴史を変えた『カインド・オブ・ブルー』(1959年)のセッションへの参加を経て自己のトリオを結成し、そのトリオで発表した“四部作”と呼ばれる1959年から61年にかけてのアルバムによって、瞬く間にシーンのトップに躍り出ることになったわけです。
ところが、高い評価を得ていたトリオのメンバーのひとり、ベースのスコット・ラファロが1961年に交通事故によって亡くなってしまい、そのショックでビル・エヴァンスはしばらくピアノも弾けない状態に陥ってしまいます。
事故から約9か月を経て、ようやくピアノに向かおうという気力の湧いたビル・エヴァンスが選んだ共演者は、本作と同じレコード会社(ユナイテッド・アーティスツ)で2年ほどのあいだに2回のレコーディングで顔を合わせたことがあったジム・ホールでした。
ジム・ホールは、1960年から61年にかけてエラ・フィッツジェラルドのバックを務めてシーンでも注目されるようになっていましたが(#041『マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン』にも参加)、ジョン・ルイスのお気に入りのギタリストとしても知られていました。前述のビル・エヴァンスとジム・ホールが顔を合わせたレコーディングも、ジョン・ルイス名義で彼の代わりにビル・エヴァンスがピアノを弾くというセッションでした。
こうした経緯から推察すると、ビル・エヴァンスの才能を認め、失意に沈む彼を慮ったジョン・ルイスが、秘蔵っ子のジム・ホールとのデュオでジャズ・シーン最前線への復帰をお膳立てしたのではないか──。
真相はともあれ、その目論見は大きく当たり、ビル・エヴァンスはスコット・ラファロとのトリオで披露したようなインタープレイをジム・ホールと展開し、ジャズ・デュオを代表する“名盤”を完成させてしまった、というわけなのです。
本作の白眉が冒頭曲の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』。
スロー・バラードとして親しまれることの多いこの曲を、アップテンポで演奏することにまず驚かされ、バロック風にもとらえられる曲調とコード・ワークのピアノ、続いてギターが同じフレーズをミニマルにリフレインしながらサビにかけてアドリブを仕掛けていき、それを追いかけるようにピアノが対位法を思わせる旋律で絡み合っていくという展開に、ビル・エヴァンスのインタープレイが復活したことをジャズ・ファンたちが確信したであろうことは想像に難くありません。
とはいえ、ビル・エヴァンスの代名詞と言える“インタープレイ”が本作で蘇ったのかというと、ボクは諸手を挙げて肯定するわけにはいかなかったりします。
というのは、バロックだったりミニマルだったり対位法だったりといった、クラシック音楽寄りの要素が濃いのではないかという気がしているからです。
おそらく、ここで再三名前が出ているジョン・ルイスの存在がその原因となっていると思うのですが、サード・ストリーム(ジャズとクラシック音楽のほぼ中間に位置する新しいジャンルの音楽)の立役者として知られる彼を意識してレコーディングに臨んだことが、交代でソロと伴奏を取り合うのでもなく合奏するのでもない、新たなデュオの可能性を切り拓くきっかけとなったのではないか──と考察することで、1960年代にジャズが大きな転換期を迎え、そのなかで本作が“名盤”とされたことの意味がハッキリしてくるのではないかと思っているのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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