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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#053 “ブラジルの風”を先取りして世界標準にせしめた敏腕プロデューサーの策略~クインシー・ジョーンズ『ソウル・ボサノヴァ』編
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2025.1.21
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, クインシー・ジョーンズ
2024年11月3日に91歳でお亡くなりになったクインシー・ジョーンズさんのご冥福をお祈りします。
彼がアルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』のプロデュースを手がけ、一躍シーンの最前線へ躍り出たというエピソードは#030で触れたので割愛するとして、それから8年後に自己名義で制作した“ビッグバンドの金字塔”ともいうべき本作がジャズ・シーンに与えた影響を考察しながら、本作を見直してみたいと思います。
1962年に米ニューヨークのスタジオで収録された作品です。
オリジナル・タイトルは“Big Band Bossa Nova”ですが、日本では収録曲『Soul Bossa Nova』のカタカナ表記を邦題として使用、それが慣例となったようです。
オリジナル盤はLPでリリースされ、A面5曲B面5曲の計10曲を収録(モノラル盤とステレオ盤あり)。CD化では同曲数同曲順のほか、『A Taste of Honey』や『Dyna Soar』などを追加収録した限定盤があるようです。
メンバーは、アルト・サックスがフィル・ウッズ、テナー・サックスがポール・ゴンサルヴェス、フルートがローランド・カークとジェローム・リチャードソン、トランペット&フリューゲルホーンがクラーク・テリー、フレンチ・ホルンがジュリアス・ワトキンス、バス・トロンボーンがアラン・ラファ、ピアノがラロ・シフリン、ギターがジム・ホール、ベースがクリス・ホワイト、ドラムスがルディ・コリンズ、パーカッションがジャック・デル・リオとカルロス・ゴメスとホセ・パウラ、ビッグバンドのアレンジと指揮をしているのがクインシー・ジョーンズです。
オリジナルの収録曲は、『ソウル・ボサ・ノヴァ』がクインシー・ジョーンズ作、『ブギー・ボサ・ノヴァ(ブギー・ストップ・シャッフル)』がチャールズ・ミンガス作(アルバム『ミンガス Ah Um』収録、1959年)、『ラロ・ボサ・ノヴァ』がラロ・シフリン作のほか、ブロードウェイ・ミュージカルのナンバー『オン・ザ・ストリート・ウェア・ユー・リヴ』、“アメリカ軽音楽の巨匠”として知られるルロイ・アンダーソン作『セレナータ』、残る5曲はブラジル発のボサノヴァ・カヴァーで、タイトルどおり“ビッグバンド”が“ボサノヴァ”を演奏するアルバムという内容になっています。
1959年に公開されたフランス・ブラジル・イタリアの合作映画『黒いオルフェ』によって、それまでブラジルのリオデジャネイロで流行しているだけの若者の音楽だったボサノヴァが世界に認知され、アメリカのポピュラー音楽シーンもその潮流に乗り遅れまいと取り込みを図るようになります。
その先陣を切ったのが、本作(とズート・シムズの『ニュー・ビート・ボサ・ノヴァ Vol.1』、ポール・ウィンターの『ジャズ・ミーツ・ザ・ボサノヴァ』、ラムゼイ・ルイスの『ボサ・ノヴァ』など、いずれも1962年リリース)。
1962年といえば、11月21日にニューヨークのカーネギー・ホールでジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、セルジオ・メンデスといったボサノヴァのオリジネイターたちが出演するコンサートが開かれ、それを発火点として北米にムーヴメントが広がるわけですが、話題のボサノヴァを、聴き慣れたジャズのビッグバンド・アレンジで楽しめるという企画によって、そのビジネスチャンスを逃さすに“ものにした”と言えるのが、本作だったわけです。
前述のように、(おそらくちゃんとボサノヴァを聴いたことがなかった)アメリカ組による作曲と、ブラジル・オリジナルをジャズ・アレンジしたものが、半々に混ぜ込まれた内容だった本作。
「これがボサノヴァなんだよ!」と言われた、当時のアメリカの人々(やアメリカ経由でたどり着いた日本の人々)は、1950年代に一世を風靡していたジャズとは異なるテイストのサウンドに、新たな時代の風を感じたようです。
クインシー・ジョーンズのアレンジはブラジル音楽特有のリズムを的確に反映し、必ずしも“ボサノヴァ”を再現してはいないものの(どちらかといえば“サンバ”なので、タイトルを『ソウル・サンバ』にすれば齟齬は少なかったのにと思うのですが……)、新たな趣向を取り込んだビッグバンド・サウンドとしてのポピュラー音楽を確立させていたからこその“名盤”なのだと、のちにマイケル・ジャクソンをプロデュースして歴史に刻まれるほどレコードを売り上げた“敏腕さ”の片鱗を、ここに見出すこともできるのではないでしょうか。
それと同時に、クインシー・ジョーンズが見落としていた“ボサノヴァの特徴”を洗い直すことで、ブラジルとアメリカを行き来して進化した1940年代から60年代にかけてのジャズを再興するためのヒントも、与えてくれるような気がしています。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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