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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#062 偶発的なアドリブを芸術に昇華させたワン・ホーンの“原典”~アート・ペッパー『モダン・アート』編
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2025.6.4
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, アート・ペッパー
『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション』(#004)以来、久々の登場となるアート・ペッパーのリーダー作です。
アート・ペッパーが初来日した1970年代後半から80年代にかけての日本での“ブーム”とも呼ぶべき熱狂については#004の記事でも触れましたが、その人気を支えたのは『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション』で魅せたハード・バッパーとしてのサックス演奏ではなく、本作に見られる歌心たっぷりでブルージーな面によってだった、とボクは思っています。
“歌心たっぷりでブルージー”な演奏は、ジャズがスウィングからビバップへと脱皮する過程ではあまり重視されない要素でした。ビバップの“持ち味”が、速いパッセージとめまぐるしいコード進行だったためです。
ハード・バップはその“持ち味”をさらに加速させ、アクロバティックな演奏と合奏でジャズの芸術性を一気に高めたわけですが、一方で速いパッセージとめまぐるしいコード進行による演奏に情緒を感じることのできない聴衆も多かったようです。
1950年代になるとバラードを軸としたハード・バッパーたちのアルバムが制作されるようになったことを、このシリーズ記事でもたびたび指摘してきましたが、おそらくは“情緒”に関するリスナー側の欠乏感が影響していたのではないかと推察できるわけです。
では本作のどのあたりに、当時の(そして現在の)リスナーが抱える欠乏感を埋めることができた“情緒”があるのかを考えながら、本作の“名盤”の理由を探ってみましょう。
1956年の末から57年の初めにかけて、米カリフォルニア州ロサンゼルスのスタジオでレコーディングされた作品です。
オリジナルはA面4曲B面4曲の合計8曲を収録したLP盤でリリースされました。同曲数同曲順でCD化されています。ほかに、1957年1月にレコーディングされた別テイクを含む全10曲ヴァージョンや、それに1957年4月にレコーディングされた3曲を加えた全13曲ヴァージョンのCDがあります。
オリジナル(8曲ヴァージョン)のメンバーは、アルト・サックスがアート・ペッパー、ピアノがラス・フリーマン、ベースがベン・タッカー、ドラムスがチャック・フローレスの4人(10曲ヴァージョンも同じ)。1957年4月収録の3曲のみ、ピアノがカール・パーキンスに交代しています。
収録曲は、8曲ヴァージョンでは4曲が、10曲ヴァージョンと13曲ヴァージョンでは5曲がアート・ペッパーのオリジナル。ほかはスタンダード・ナンバーが並んでいます。
1950年代になって、ジャズ・シーンでも本格的なLP盤制作の機会が増え、そのことがジャズ・シーンの活性化に寄与するとともに、ジャズの芸術性を高めるきっかけにもなっていました。
ビバップから発展したハード・バップでは、速いパッセージとめまぐるしいコード進行による演奏で主旋律をアレンジしていく方法論によるヴァリエーションが広がっていったわけですが、先述のように“情緒”の欠乏に対する不満も比例して高まっていきました。
アドリブと呼ばれる“主旋律をアレンジしていく方法論によるヴァリエーション”が、いかに有機的に創造されて“情緒”に関するリスナーのニーズを満たしていくかが課題となっていた時期でもある、と思うのです。
アート・ペッパーは“弱冠”二十歳前の時点ですでに、活動の拠点だったロサンゼルスで頭角を現わし、チャーリー・パーカーと比肩するほどのアルト・サックス奏者だという評判が立つ逸材でした。
本作はその彼が、技量的にチャーリー・パーカーを圧倒していくのではなく、いかにアドリブと呼ばれる偶発的な演奏スタイルを“変奏曲(=ヴァリエーション)”として、J.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』やモーツァルトの『きらきら星変奏曲』のような“作品”に昇華させるかに挑戦したという、ジャズ・アドリブの集大成的な意味を有していたのではないか──。
そしてそのことを当時のジャズ・シーンも感じ取っていたからこそ、本作を“名盤”せしめたのだと思います。
アート・ペッパーは32歳になる1957年に、本作や『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション』といったジャズ史に残る“名盤”を制作しました。
それは、1955年に34歳という若さでこの世を去ったチャーリー・パーカーの後継者として、ジャズを“モダン・ジャズ”へと進化させる人材の最右翼と目されていたことを意味します。しかしそのキャリアは、麻薬禍によって中断を余儀なくされます。
本作前年までの2年間、そして1960年代にかけて刑務所で過ごすことになった彼にとって、それは“最も脂ののっている時期の演奏”を残す機会を大きく減じていたのですから……。
それだけに、原曲のメロディに託された歌心を何倍にも増幅しながら“変奏曲”を紡ぎ出す天才の絶頂期を、アンサンブルのなかのソロ・パートではなくワン・ホーンという贅沢なシチュエーションで追体験できる希少性も、本作のプレミア度を高めているのは間違いありません。
さらに現在も、1970年代半ばに“不死鳥のように”蘇った彼の、磨きをかけたワン・ホーン・パフォーマンスをより深く味わうための貴重な“原典”として活用できることが、輝きを失わない理由であるといえるのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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