今月の音遊人
今月の音遊人:大石昌良さん「僕がアニソンと出会ったのは必然だったんだと思います」
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ポピュラー音楽からゲーム音楽、効果音、携帯・スマホの操作音まで、私達が耳にしない日はないシンセサイザー(以下シンセ)の音・音楽。生楽器と思って聴いていたバイオリンの音色が、実はシンセによるものだった…となっても、誰も驚かない時代になりました。
この数十年で格段に進化したシンセですが、2014年はヤマハがシンセ第一号を発売して40年という記念イヤー。40年の詳しいところは記念サイトを見ていただくとして、ここではヤマハの代表的なモデルを見ながら、シンセの移り変わりを見ていくことにしましょう。
ヤマハのシンセの歴史は、1974年に発売された「SY-1」(写真上)からスタート。70年代というと、音の三大要素(音高・音色・音量)を電圧でコントロールするアナログシンセが主流の時代で、ピコピコ、ピュ~ンといった電子音は、テクノポップを生み出したYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)など、多数のアーティストにインスピレーションを与えました。「ただしアナログシンセは、環境の温度変化で音の高さが変わってしまうことがあるなど扱いが難しく、値段も高かったため、まだ一般的な楽器ではありませんでした」と、商品企画・マーケティングを担当する伊藤章悟さん。
1980年代になると、環境に左右されず、安定して音が鳴らせるデジタルシンセが登場します。デジタルの音づくりには多様な方式がありますが、代表的なものが1983年に発売された「DX7」のFM音源方式*。
アナログシンセでは出せなかった打楽器系の音色や、エレクトリックピアノのきらびやかな音色が人気となり、80年代のヒット曲の多くに「DX7」(FM音源)が使われました。 「24万8千円と手の届きやすい価格もあり、ヤマハのシンセ史上もっとも売れたモデルです。今では一般的となっているMIDI*を、既に搭載していたのも革新的でした」(伊藤さん)
そして外すことができないのが、1988年から2001年まで、計11モデルが発売された「EOSシリーズ」。シンプルな操作と、本体に付いたモニタースピーカーから音を鳴らせる手軽さが、それまでシンセに触ったことのない層にも受け、演奏人口を大きく広げました。(一部スピーカーが付いていないモデルもあり)
このように、80年代はシンセが高性能かつ安価となり、アマチュア演奏家にも急速に普及した時代でした。Take2では90年代以降の動きを見ていきましょう。
Take1:40周年を迎えたヤマハのシンセサイザー
Take2:試行錯誤の90年代~人気シリーズMOTIF誕生まで
Take3:50周年へ向けて ヤマハ シンセの進む道
文/ 武田京子
photo/ 村上一光
tagged: シンセサイザー, DX7, EOS, EOS-B200
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